自然派

エンターテイメントの60年代も終わりかけていた頃、カナダにいたジョン・レノンは平和
について語り、ロンドンのポール・マッカートニーザ・ビートルズに終焉を告げようと
していた・・・ヴェトナムではナパーム弾が降り注いでいた時代である。

ツェッペリンはツアーのため欧州に舞い戻ったが70年代に入ってすぐ、デンマークでは
事件が起こる。


4人にとっては「ニュー・ヤードバーズ」以来の訪問だったが、新しいバンド名が彼らの
立場を厄介なものにした。

「私たちのファミリーネームを使って金儲けするのは許せない」と一人の女性が抗議
したのである。
ドイツ人技師の血縁者にあたる彼女の名前は’エヴァ・フォン・ツェッペリン’。
スタジオまで押しかけて文句をいう彼女から逃れるため、彼らはとりあえず改名する
必要があった。
コンサート直前に『ザ・ノブス』と名乗った4人であるが・・・英国のスラングに詳しい方
にとってはニヤッとする名前かもしれない。

翌日にはさらなる事件が起こる・・・


アート関係に造詣が深いと聞いていたデンマークのプロモーターの勧めでギャラリー
で記者会見を開いた彼らであったが、ペイジは「ここにはクズみたいな作品しかない」
と言い出した。
なかでも、スウェーデンの高名な印象派の一連の作品がいたく「気に入った」彼らは
酔いに任せてまだ油絵の具も乾いていないその作品3点に「手を入れて」しまった。
当時アトランティックのヨーロッパ担当ディレクターに昇進したばかりのフィル・カーソン
は戦慄した・・・さっそくギャラリーのオーナーに損害賠償の交渉をしたが当のオーナー
にも元と違っていることを確認できたのは1作品だけだった。
他の2作品は・・・どこをどう変えたのかも判らない有様で、けっきょく1作だけの弁償
で済んだのだった。

今でこそ笑い話になっているが、当時はこうした所業の数々で世界中に悪名を馳せ
ることとなったのである。


しかしこうした日々の中で、彼ら自身は反発する評論家たちとの戦いから自分たちの
音楽が微妙に変わってきていることに気付いていた。
いつも当たり前のようになにかに向かって動いていたツェッペリンは新たな創造へと
移り変わっていく。

そろそろ休みを取ったほうがいいんじゃないか?、というペイジの呼びかけに応えた
プラントは子供の頃両親と行ったことのあるサウス・ウェールズのコテージに篭って
みたらどうかと提案し、ガールフレンドや家族を同行して曲つくりに励むことになった。

キャンプ・ファイヤーなどに興じながら、夜が明けると曲を作る・・・そういった生活の
中での創作活動は今までのものとは異なった展開を見せていた。


日々、谷を横切っていく一条の光にちなみ「ブロン・イ・アー」と名付けられたその
コテージはとりわけ風光明媚なサウス・スノウドニアのダヴィ川沿いにあった。

あるときペイジプラントは近場の大邸宅を訪れたことがある。
ギターを持っていた若者が自作の曲を弾いているのを見てプラントは自分も拙い
腕前を披露したが、別の若者がペイジにも弾いてみるように薦めるのをうけて、
「彼は弾き方を知らないんだ」、とやんわり断ったという。
その若者たちは後に彼らの正体を知ったのだろうか・・・本人に訊いてみたい気も
する。


4度目のツアーがバンクーバーから始まった春のある日、またまた事件は起こった。
ツアー・マネージャーのリチャード・コールが客席に突き出すマイクを発見したのが
事の発端、彼はローディに命じて楽屋に引きずり込みマイクとレコーダーを破壊し
たのだが、実はカナダ政府から正式に派遣されて会場の騒音を計測していた職員
だったのである。
結果的に後年、この件が解決するまでバンドはカナダに出入りが出来なくなるの
だが、舞台裏では例によってつむじを曲げたボンゾが楽屋に1500ドルの損害を
出しており、これまたいつものようにピーター・グラントが弁償している。
しかしその背景には当時の海賊盤業者との熾烈な戦いが思い起こされる。

  実際に当時は数多くの海賊盤が横行しており、音楽雑誌などにも堂々と広告
  が打たれていました。が、私はこういった海賊盤を買ったことがありません。
  音が悪いというのも当然のことながら、本人たちの望んでいない作品を聴いて
  ファンとして嬉しいわけがないからです。
  ファンの中には「オレはこんなのも聴いた」、「こんなライヴ盤も持っている」と
  自慢気に話している人もいましたが、本当のファンなら・・・彼らが嫌がっている
  ものを欲しがるというのはどうなんだろう?
  先日某所で「需要と供給」の話題がありましたが、ここにもその問題は存在
  していたと思います。



とにかく目の回るようなスケジュールの中で作られた前作と違ったアプローチが
とられたサード・アルバムだがペイジは・・・

 ニュー・アルバムは僕らが作った中でも一番意義深い作品になるんじゃないかな、
 別にポリシーを曲げるわけじゃない、何曲か静かなアコースティック・ナンバーも
 入っているけど、僕らはやっぱりヘヴィ・バンドなんだ。

プラントもこう語っていた。

 記事の内容が目に浮かぶようだ、『ツェッペリン、ソフト路線に走る』とかね。
 たしかに以前からアコースティックをやりたいと思ってたし、実際ニュー・アルバム
 では何曲か使っているけど、本質的な違いはないと思う。
 今の僕らがやらないといけないのは自分たちの到達したポジションを見つめ直す
 こと、そうすれば本当に言いたいことも言えるだろうし。


そうして、新しい10年間の始まりでもある1970年10月5日、「LED ZEPPELIN Ⅲ
が発売された。

                                       (つづくw)



【シリーズ】
このシリーズももう13回目なんですよ・・・でもやっとアルバムは2枚しか出てないw
「CODA」まででもアルバム10枚、先は長いなぁ・・・・・(^^;)
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by shika_monologue | 2005-06-29 00:08 | 鉛の飛行船の話 | Comments(2)

Commented by 奈良の鹿 at 2005-06-29 11:12 x
皆が欲しがるから業者が作る・・・それはいつの世も変わらないですね(^^;)
いいものを欲しがるのはいいんですけど、違法なのはまったく困りもんです。
Commented by kawamukai at 2005-06-30 10:30 x
またまた楽しく読ませていただきました(^o^)
いつもありがとうございます。CODAまでだと2年はかかるんじゃないですか(笑)長いおつきあいよろしくお願いします。
海賊版買ったことあります(^_^;でもいい音のものなんて全然ないし、確かにアーティストからすると私生活盗撮されたようなもんでしょうね。その1枚以来買ってませんが、海賊版買う心境ってほとんどストーカーのような気もしますね...。
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