さらなる前進

LED ZEPPELIN Ⅲ」から13ヶ月、予定より大幅遅れてリリースされたアルバム
は、ついにトップに上り詰めることはなかった。
初登場以降4週目にして2位まで上昇したチャートは以後5週連続で2位に留まる
ことになる。
そのときトップに輝いていたのはキャロル・キングの名盤「つづれおり」だった。
しかし長い目で見るとその後4枚目はほとんどのロック・アルバムを凌駕する売上
を記録した。

世界中の雑誌やラジオ局の人気投票で「天国への階段」が史上最も人気の高い
ロック・チューンに選ばれているが、グラントは当時アトランティックからのシングル
カット要望には頑として首を縦に振らなかった・・・それが正解だったことは歴史が
物語っている。


英国では相変わらず評論家に叩かれていた彼らだったが、ここで微かな変化も
あった、かのローリングストーン誌である。

 英国のレモン絞りたちが作ったにしては悪くない。

初めてバンドの人気を認める姿勢を見せたのだ。
が、それ以上にペイジプラントはこのアルバムがバンドのキャリアにおける転機
になるだろうことは痛感していた。
ステアウェイ・アルバム」(マスコミに習いこう表記する)によって作品の基準は
恐ろしく高められ、並のバンドなら次の段階に進むことなど思いもよらないところで
あったが、彼らはもちろん並のバンドではなかった。

4枚目の余勢をかって彼らは1~2枚目のパワーと3~4枚目の幻想的なスタイル
の融合を考えていた。
アトランティックはその年の秋に5枚目のアルバムをリリースすることを望んでいた
が彼らは急かされるのを嫌った。

夏の終わり、4人は8ヶ月に及ぶ北米ツアーをスタートさせている。
ロックンロール」で始まり「胸いっぱいの愛を」で終わる構成はお馴染みのものに
なっていたが、わけてもジョンジーのステージでの役割は広げられ、電子ピアノや
オルガン、メロトロンといったキーボード群を操るようになっていた。

 ベースばかり弾いてると飽きちゃってね、今じゃ以前よりずっとオルガンを弾いて
 るしこの先ももっと集中してやりたいと思う。
 後ろにひっこんでるのは別に気にならない、ペイジみたいに前面に出てプレイす
 るのは性に合わなくてね、そりゃアーティストであるからには生来露出狂である
 わけだけど、他人を押しのけてまでって気にはなれないんだ。
 自分のやるべきことをするってのが本道だと思うし、ベーシストならベースでソロ
 を弾いて目立とうとするより、しっかりしたベース・ラインを送り出すのが務めだと
 思う。

いつものようにドラム・セットの向こうで楽しんでいるボンゾは、しかし以前に比べ
るとヘッドを破る回数はずっと少なくなっていた。

 ドラムを叩いているとワーッと叫びたい気分になる、景気付けのためにね。
 でもここ3回のツアーじゃ一度も皮を破っていない。
 

毎回力の限りショーを続けることがバンドの信条だった。
72年、二度目の日本ツアーのときジョンジーがインフルエンザに倒れ同行して
いたフィル・カーソンがその代役を務め公演記録にその名を残した。
ツェッペリンとステージと競演するという幸運を彼は手にしたのである。

そして1973年3月28日、春まで延期された5枚目のアルバム、ツェッペリンとして
は初のタイトル付きアルバムである「HOUSES OF THE HOLY」が発売された。

                                     (つづくw)


【いやぁ】
2度目のジャパン・ツアーのときにそんなことがあったことは、まだ幼かった私
はぜんぜん知らなかったんですねw

しかし元ベース・プレイヤーのフィル・カーソン、流石です(^^)
ジョンジーの代役ってめちゃ難しそうなのにねw
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by shika_monologue | 2005-07-30 00:01 | 鉛の飛行船の話 | Comments(1)

Commented by なおゆき at 2005-07-30 20:35 x
ジョンジーかっこよすぎる!
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