大作

積極的に(?)社交的な場を避けてきたバンドにしては珍しく、このときメンバー達は
進んで脚光を浴び、自分達以外でレーベルが成功を収めたことを大いに喜んでいた。

彼らがゴールドやプラチナ・ディスクを獲得することは目新しくなかったが、所属する
アーティストが匹敵する人気を得るというのはまったく別の喜びであり、彼らもその
キャリアにあって新たな意欲をかきたてられた。


ツアーと無縁で過ごしていたメンバーで一番最初にステージに戻ったのはジョンジー
だった。
74年8月のフリー・コンサートでロイ・ハーパーデイヴ・ギルモアらと共演、翌月には
ペイジが米国でバッド・カンパニーのコンサートに参加している。

旗揚げしたばかりのスワン・ソングにあって、自身の6作目のアルバム・レコーディング
は何にも増して重要なプロジェクトだった。
73年末から開始された作業は、しかししっくり来なかったため棚上げにされ再開され
たのは74年2月に入ってからである。
ペイジは新しいアルバムについて

 次のアルバムにもやっぱり複雑な曲が入ることになるだろう、それとヤードバーズ
 時代にやっていたソロ曲を基調にしたアコースティック・ナンバーが入るかも。
 だけど大半はストレートなロックンロールに立ち帰ったものになると思う。

2枚組、全15曲におよぶ新作は70年代中期という時点でバンドが受けていた影響
の数々を提示する作品となる。
2枚目の冒頭を飾る「イン・ザ・ライト」のイントロからははっきりとインド音楽の影響が
窺えた。

しかし初期の段階でアルバムの中心的な曲とされていたのは、原題を「ドライヴィング
・トゥ・カシミール
」という大作だった。
この曲はもともとペイジが数年前から手がけていた「ギター連作曲」として自宅で録音
したテープに収められていたが、この連作曲からは他に「ブラック・マウンテン・サイド
や「ホワイト・サマー」、さらに未発表曲「スワン・ソング」などが生まれている。

近年、プラントは振り返っている。

 あの歌詞はゴウリマインからモロッコ南部のタン・タン、かつてスパニッシュ・サハラ
 と呼ばれた地域に至る長い道路からインスパイアされた。
 砂漠を縦断する一車線の道路だった、すごく荒れ果てた道でね、だんだん川の底
 を走ってるような気分になってくるんだ。
 「イン・ザ・ライト」など他にも2、3曲ほどいい歌詞はあるけどこれは極めつけだ。
 でも一番圧倒的なのはこの曲のムード、ボンゾがプレイを倹約してくれなかったら
 僕らはあんな傑作はモノにできなかっただろう。
 あいつが手数を抑えてくれたおかげであんなに上手く仕上がったんだ。

加えてペイジ

 オーケストラとメロトロンを合体させてギター・パートをそっくりそのまま弾かせると
 いうアイデアがあって。
 ジョンジーは全セクションをメロトロンの即興でプレイすると、最後のフェイドアウト
 のところに上昇音階のリフを追加したんだ。

後日、メンバーはこの曲こそがツェッペリンの真髄だったと口を揃える。

 この曲にはバンドに欠かせない全てが揃っているんだ。
                             -ジョン・ポール・ジョーンズ

複雑なジャケット・ワークにメンバー全員が納得するまでには様々な障害があり、
そのため新作の発売は半年間延期されたが、これらの事態も新作に対する世間
の反応をいささかも損ねなかった。

こうして1975年2月25日、彼らとしては初の2枚組大作「PHYSICAL GRAFFITI
が発売された。

                                    (つづくw)



【今回は】
ちょっと短めですがお許しくださいm(_ _)m
なにせ次は全15曲のコメント書かないといけないんでw
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by shika_monologue | 2005-08-09 00:52 | 鉛の飛行船の話 | Comments(2)

Commented by kawamukai at 2005-08-09 09:18 x
全15曲のコメントゆっくり書いて下さい。しかし100%お待ちしております(^o^)、わぁ~プレッシャーかけちゃった!ごめんなさい(^_^;うそですよ~気ままにやりましょう!
Commented by 奈良の鹿 at 2005-08-09 09:55 x
_(。。)_ ←プレッシャーに押しつぶされる鹿w

ん?カーハビ?(・ω・)
カーハビ・・・カーハビ・・・・カワハビ・・・カワハギ!
バンザーイ!バンザーーイ♪!(^^)!
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