怪異?

英国のバカげた税法から逃れてモントルーを本拠地とした彼らは、休暇を取って
プラントは家族連れでモロッコに向かい、3週間後にはページも合流した。
広大なサハラ砂漠をドライヴして回ったが徐々に戦場に迫ったところで引き返す
ことを余儀なくされる。

その後モントルーに戻った二人は、後少しの休みのあと、秋から北米ツアーを
スタートする計画を立てた。
ロンドンでは来るべき映画プロジェクトの編集作業を監修していたペイジだが、
ガールフレンドのシャーロットや娘のスカーレットと再会した彼は、真夏の間は
プラント一家と一緒にギリシャのロードス島で過ごすつもりをしていた。

ロバートモーリーンプラント夫妻は二人の子どもとモーリーンの妹夫婦を連れ
モントルーからロードス島に旅立ったが、そんな彼らを惨事が襲ったのは太古の
廃墟を観て回ろうと車を借りたときのことだった・・・


モーリーンがハンドルを握り、プラントは助手席、子ども達とペイジの娘は後部
座席に座った。
車は幅の狭い道で横滑りし、モーリーンのコントロールから離れ断崖に転げ落
ちて木に激突した。

プラントは意識不明の妻を見るなり息絶えたと思いこみ、子ども達も怪我をして
いたがスカーレットだけはみたところなんともなさそうだった。
当のプラントも肘の骨が砕け、足首をひどく痛めていたのだが・・・
こんな辺鄙なところでは救急車を呼ぶこともままならず一家が果物用のトラック
に乗せられて地元の病院にたどり着いたのは、それから数時間後のことだった。

当時を振り返ってプラントは・・・

 横になって痛みをこらえてたんだ、ベッドからゴキブリを追い払いながらね。
 そしたら隣に寝ていた酔っ払った兵隊が「オーシャン」を歌い始めたんだ。


そのころロンドンではパニック状態だった。
税金から逃れるため南フランスへ行ってしまったグラントとは連絡がつかず、
リチャード・コールシャーロットからの電話で、モーリーンが死にかけており
現地では調達できない大量の血液を必要としている、と聞かされた。

コールは専門家達に連絡をとり、ジェット機を借りる手はずも整えた。
やっとのことで負傷者をローマまで空輸し、彼らはその足でロンドンに戻った。
プラント

 あの時すぐ英国に戻って一番の治療が受けられるだけのお金が無かったら
 はっきりいって奥さんも今ごろは生きちゃいないと思う。
 僕自身、生きているのがラッキーなくらい。

しかし、彼はラッキーともばかり言ってられなかった。
新税法によってこれ以上留まっていれば一財産を失うことになるからだ。
コールツェッペリン軍団で唯一国内に残ることができたメンバー)は、即座に
プラントをジャージー島まで運ぶ手はずを整えた。

残るメンバーとグラントも直ちにジャージー島に集結し、北米ツアーの延期を
発表、続いてプラントが負傷から回復するまでの間、カリフォルニアで仕事
がてらに休暇を取ることが決定された。
マリブにビーチ・ハウスを借りた彼らであったが、プラントはそこで行き交う
映画スターたちを観察し、プレスリーからの「一日も早い回復を」という電報
に刺激されて暇を見つけては詩作に勤しんだ。

表舞台から一時的に姿を消し、プラントが動けなくなったことで暗雲が立ち
込めていたにもかかわらず、彼らの人気は高まる一方だった。
9月末にはメロディ・メイカー紙の年間人気投票でツェッペリンが7部門の
首位を独占、以外の9部門でも上位にランキングされるという「前代未聞の
快挙」を成し遂げたことが明らかになる。
同紙によると、ひとつのバンドが7部門で1位になることは史上最多とのこと
だった。


とはいえ、8月の事故からプラントがいつ完全復帰できるのかについては
様々な憶測が飛び交っていたが、バンドは11月になってようやく以下の
ような情報を公開した。

 プラントの足首は目ざましく回復しているが、いまだステージに立てる
 状態には至っておらず、現状ではツアー・スケジュールは白紙である。
 完全に回復するまではいかなる計画も取り決めもなされることはない。
 同時に折った肘は順調に回復している、精神的には良好な状態だ。

この発表では、同時に11月いっぱいをミュンヘンのスタジオで過ごし、
翌年初頭に発売予定のアルバムに備えることが明らかにされた。

彼らはハリウッドのS.I.R.スタジオで断続的にリハーサルを進めており、
久々に再開したことで熱のこもったプレイを聴かせ、プラントまでも車椅子
に座ったままヴォーカルを担当した。
今回の事故が次のアルバムに何らかの影響を与えることは明らかだった。

ドイツへ向かう途中のプラントは車椅子を離れ杖をついて歩き始めていた。
生来について楽観視していた彼は・・・

 じっくり見直す時間が持てたよ。
 今までは自分達のやることに引きずり回されていた感じだったから。
 今回、全部をまっさらに見つめなおす機会が持てた。
 そんなわけでニュー・アルバムの歌詞は全部が「もうこれでお終いなん
 だろうか?」って思い悩んだ時期を反映したものになっている。
 このアルバムはすごくテンションが高い、それも元に戻りたいっていう
 僕の心の葛藤の表れなんだ。


こうして1976年3月31日、原点復帰のようなアルバム「PRESENCE」が
発売された。

                                 (つづくw)



【さすがに】
プラントの発言ばっかりになっちゃいましたねw
まあ、この時期は話題の中心はプラントだったんで仕方ないんですが(^^;)

とにかく7枚目はテンションという面ではこれまでで最高かもしれません。
でもこういう背景があるとそれも納得ってね♪
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by shika_monologue | 2005-09-10 00:24 | 鉛の飛行船の話 | Comments(1)

Commented by 奈良の鹿 at 2005-09-10 20:37 x
だいじょぶだったですよ(^^)

でもね、この後さらに事件が・・・ソレはまた後日。
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