復活

ピーター・グラントは過去10年間、ツェッペリンをヘッド・ライナーとして野外コンサートを
開きたいと申し出る無数のプロモーターからの誘いを断りつづけてきた。
しかし、時が満ちたと感じたグラントがこうした申し出に対し真剣に交渉を開始したのは
79年夏になってからのことである。
プロモーターは第6回ネブワース・フェスティバルの出演者を集めている最中だった。
4年前に凱旋コンサートをして以来、英国のステージに立っていなかった彼らにグラント
はイベントのトリを飾らせることにした。

 君らなら週末、2週連続で満杯にできるだろう。
 そしてこれこそが(主にプラントに向けて)まだ辞めるときじゃないってことの証明に
 なるんだ。


79年春、英国のマスコミはパンク熱でうかれていた。
ツェッペリンのネブワース出演が公表されると愚かなジャーナリストやミュージシャンの
間では、彼らを過去の遺物扱いして誇ることが流行になっていたのである。
パンクに肩入れしすぎてバランスを欠いた評論家はもちろん、若いミュージシャン連中
も当然のように彼らを主流から追いやろうと必死になっていた。
クラッシュポール・シムノン

 ツェッペリン?音を聴くまでもない。
 ジャケットを見ただけで放り投げたくなる。

と、言い放っている(実際、彼らのほうが「放り投げたくなる」ような音楽なのだが・・・)。
この愚かな皮肉屋達は、イベントのチケットがなかなか売れずツェッペリンの人気の程
を露呈するだろう、と予測していた。

が、大口を叩いて彼らをクサした連中は手痛いしっぺ返しを喰らうことになる。
チケットは、共演するバンドの告知を一切行っていなかったにもかかわらず、発売から
わずか二日間で売り切れてしまった。
バンドの人気低落の噂は払拭され、パンクのバカバカしい攻撃もマスコミの非現実的
な糾弾もまったく気にならなくなった。
事実、直後にリリースされた「IN THROUGH~」が裏づけするとおりかつてなくバンドの
人気は高まっていたのである。


ここ数年、プレッシャーや様々な問題を克服してきた彼らの闘いぶりは賞賛に値する。
彼らはおそろしくアンフェアな状況下でカムバックした。
ツェッペリンのプレイは決して湾曲した伝説に見合ったものではかなったものの、一瞬
でも過去3年間が無駄だったと思わせることはなかったのである。
現場に遭遇した者はこう語る。

 言葉だけでネブワースのツェッペリンを表現するのは不可能である。
 現実に目撃していなければステージに復帰した彼らがどれだけの熱狂を引き起こし
 たか想像できないだろう、それくらい激しいライヴだった。

相変わらず的を外した評論があったことも事実だが・・・
ジョンジーは後にこう振り返っていた。

 あれは特別なコンサートだったと思うね。
 ただ、振り返ってみるとちょっと悲しくなってくる、というのもあれが新時代の幕開け
 を告げるはずだったのに、結局その時代が始まらないまま終わってしまったから。

                                       (つづくw)



【ジョンジーの】
含みを残した言葉で終わってしまいましたがw、次回はそのことに触れる・・・・・前に
まだ書き残したことがあったりします(^^;)
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by shika_monologue | 2005-10-06 07:40 | 鉛の飛行船の話 | Comments(1)

Commented by kawamu at 2005-10-07 09:14 x
この辺になると私もロックを聴きだしていたので時代感がわかります。
パンク流行ってましたもんね~。今考えると不思議ですね。
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