終焉

北米ツアーの発表から10日後、9月24日にメンバー達はペイジが新しく購入した邸宅に
集結した。
個人的にもバンド全体としても士気は高まっており、ペイジ

 僕らはもっとやるべきことがあると思う。
 このバンドはそうしたチャレンジの上に成り立ってるんだ。

と語っていた。
後にジョンジーは・・・

 あの日の僕らは盛り上がっていた。
 最初のリハーサル、それも初日の遊び半分みたいなやつでムードは最高だったよ。
 さあ、明日からはツアーに備えて本格的に始めるぞって思ってたらあんなことになって
 しまって・・・


ボンゾを自宅からペイジ宅まで車で送るのはレックス・キングの役目だった。
ヘロインとは手を切ったと伝えられていたボンゾだが、抗不安剤の服用は続けていた。
ペイジ宅へ向かう途中ボンゾはパブに車を止めさせハム・ロールとウォッカを4杯、胃袋
に収めた。

さらにリハーサル中にも2、3杯飲み干し、バンドに復活パーティでも飲み続けたため、
真夜中にはソファで酔いつぶれてしまった。
ペイジのアシスタントは寝室まで運んで枕をいくつか敷き詰め、脇腹を下にして横たわ
ったボンゾを残して部屋の明かりを消したが、翌日の午後になっても姿を現さないため
様子を見に行ったプラントのアシスタントはそこで死んだように動かない彼を発見した。
すぐに救急車が呼ばれたがボンゾは数時間前に死亡しており、もはや蘇生は不可能
だった。

プラントパット・ボーナムと二人の子供を慰めるため北に向かい、ジョンジーは自宅
に戻った。
ペイジは自宅に残り、その周囲では多くのファンが黙祷していた。


ニュースは世界各国で新聞の見出しを飾ったが、中には悪趣味なものもあった。
ロンドンのタブロイド紙は、

 ツェッペリンの黒魔術ミステリー
 キチガイじみて聞こえるかもしれないが、プラントを含めバンド周辺の人間はみんな
 ボンゾの死を筆頭とする一連の悲劇はペイジの黒魔術との関わりが原因ではない
 かと考えている。
 思うに残る3人のメンバーは次に何が起こるのだろうと、内心ビクビクしてるのでは
 ないだろうか?


ボンゾの追悼式は2週間後の10月10日、自宅から程近い教会で行われた。
小さな教会は一杯になり、同郷の友人たちがパットや二人の子供たちに力を貸し、
ホールの外では地元のファンが式次第を見守っていた。

遅かれ早かれ、その放蕩な生活のツケが回ってくるのは必至だったという声も聞か
れたが、ジョンジーは避けようのないことなんてないんだ、と後日語っている。

 ボンゾの死は事故だった、誰の身に起こっても不思議じゃない。
 あれだけ酔っ払ってあおむけになって寝たらああなるのを待ってるようなもんだ。
 それくらい単純なことだったんだ。

グラントもまた、

 リハーサルには行かなかったけど、あの話を最初に聞いたときはショックで言葉
 も出なかった。
 リハーサルで何杯か飲むのはボンゾにとって珍しいことではなかった。
 といっても飲みすぎることはなかったしドラッグにも一切手を出さなかった。
 彼がそのプレイと同じく熾烈な生き方をしていたのは間違いない、いつも全開だ
 った。
 でもひとつだけ覚えておいて欲しいのは彼の音楽的な才能だ。
 家族をとても大切にする男だったけど、いったんアルバム創りやツアーが始まれ
 ばいつだって一番にやってきた。
 家族だけじゃない、バンドに対しても全力を尽くしていた本物のプロフェッショナル
 だった・・・あんな男は他にいない。



かけがえのない友人を失った3人はこの事件以降を田舎に引きこもってやり過ご
していた。
栄光の復活、という夢が土壇場でついえてしまったのだ。
続けてジョンジーは語る。

 まったくの混乱状態だった。
 覚えているのは、もう誰ともプレイする気になれなかったこと、なんといっても彼
 は僕の理想のドラマーだったからね。
 ようやく全員が集まって先のことを話し合ったけど、とても続けていく気にはなれ
 なかった。

プラントはこう答えている。

 彼は僕の大親友だ、二人とも15ぐらいのときからずっと一緒にやっている。
 ボンゾの死に関してはペイジジョンジーも同じ気持ちだろう。
 ただ一つ違いがあるとすれば、それは僕らが家族ぐるみで深い付き合いをして
 たってこと。
 ツアーに出てるときなんか僕らはほんとに近しかったし、だから今回のことでも
 「決まりだな」の一言でケリがついた。
 他の誰か、たとえばペイジジョンジーか僕の身に起こったことだったとしても
 結論に変わりなかったと思う。
 はっきりと「もう終わりにしよう」って感じだったのさ、黙っていてもそれで決まり
 だったんだ。

ツェッペリンの最期を振り返ってグラントは、

 どんなかたちでも活動の続行はあり得なかった。
 どうしたってツェッペリンじゃなくなってしまうからだ。
 4人で集まったとき、彼らは私の顔を覗き込んで「どうしたらいいと思う?」って
 訊いたから「前と同じにやっていくわけにはいかないだろう、どうしたって違って
 しまうんだから」って答えた。
 彼らは「そう言ってくれて嬉しい」ってね。
 彼らの心は決まっていたし、私の心も決まっていた。
 4人の心はひとつだった。

そうする以外の道は考えられなかった。
その報せも、実に密やかに伝えられた。



私達の親愛なる友の死、彼の家族に対する深い敬意、そして私達及びマネー
ジャーともども感じているところの断ち切ることのできない一体感から、私達は
今までのような活動を続けていくことは不可能という結論に至りました。
                                -1980年12月4日-




それはニューヨークのダコタ・アパートの前でジョン・レノンが凶弾に倒れる4日
前のことだった・・・60年代と70年代という二つの時代の終焉を感じた、そんな
出来事だった。

                                      (つづく)



【・・・・・】
とうとうこの瞬間がきてしまいましたが・・・・・
まあ、私の中では「CODA」までがツェッペリンのリアルタイムってことでね
(アナログ・レコードだしね)、シリーズはあとちょっと続きます。
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by shika_monologue | 2005-10-14 00:08 | 鉛の飛行船の話 | Comments(2)

Commented by 奈良の鹿 at 2005-10-14 10:53 x
探すとけっこういるみたいですよ、30年くらいやってるバンドって(^^)
Commented by kawamu at 2005-10-14 17:00 x
うーん!今回もうねらせていただきました。ビッグバンドだったとはいえ、当時の彼らの年齢はまだ若かったんでしょう?
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