カテゴリ:鉛の飛行船の話( 60 )

銀幕

僕らは今、映画を作っているところ。
公開できるかどうか分からないけど、ロンドンのアルバート・ホールでやったライヴを
撮影したよ。
                             -ジミー・ペイジ 1970年2月-

というように、ごく初期の段階からペイジは自分達のライヴ・パフォーマンスを後世に
残すことを意識していた。
現在のようにロック映像が世にあふれかえるずっと以前のことである。
けっきょくこのプロジェクトが結実するまでに7年という歳月がかかったが、完成した
映画「永遠の詩」は待ちに待ったファンが十分に納得できる作品だった。


ツェッペリンの映画を完成させるにあたってメンバーとグラント以外にジョー・マソット
ピーター・クリフトンがキーマンとなった。

マソットが初めて彼らに遭遇したのは1972年のバス・フェスティバル。
15万人を集めたこのイベントには他にバーズサンタナジェファソン・エアプレイン
ドクター・ジョンカントリー・ジョー&ザ・フィッシュフランク・ザッパフロックなどが
名を連ねていた。
ツェッペリンの熱演には大きく心を動かされたマソットだったが、このバンドが彼の
生涯でもっとも重要なプロジェクトの中心的存在になることは予感していなかった。

グラントツェッペリンの出番を最大の照明効果が得られる日没に合わせるため、
彼らの前に出演していたフロックにアンコールがかからないように機材の電源を
抜いてステージから追い立ててしまった。
かくしてツェッペリンは太陽が沈むのとほぼ同時に「移民の歌」を演奏し始めたの
だが、マソットは「あれはほんとに驚異的な出来事だった、プラントの後ろには沈み
つつある太陽、ギグ全体が異次元の出来事みたいだった」と語っている。

この忘れがたいサンセット以前からマソットはロックと映像の融合にかなりの経験
を有していた。
彼が初めてロックを取り入れたのは西部劇、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ
フューチャーした「ウエスタン・ロック・ザカライア」であり、続いてジョージ・ハリスン
との共作で難解な実験映画「不思議の壁」を発表している。
その後、ペイジを訪ねるようになったマソットは、73年初夏には映画を製作する
可能性について話し合うようになった。
彼はここ数年、事務所に持ち込まれた映画の企画とは異なるヴィジョンを持ってい
たのである。

マソットのヴィジョンとは・・・

 4人のメンバーをそれぞれ一個人として描き出し、その4つのセクションをうまく
 映像に織り込みたいと考えていた。
 ペイジはこう言ったよ、「もう一本、ウッドストックみたいな映画を作ったところで
 なんのメリットもないだろう」って。
 「ウッドストック」も「バングラディシュ」もどちらも16mmのドキュメンタリー。
 「レット・イット・ビー」ですらこのカテゴリーに入ってしまう。
 「ヤー・ヤー・ヤー」や「HELP!」が撮られて以来ライフ・スタイルを意識的に描こ
 うとした映画は皆無だった。
 ペイジも同じ考えだったと思う、彼も普通とは違う何かを求めてたんだ。

好意的な感触を得て正式なゴー・ザインを心待ちにしていたマソットだったが数日
後、彼のもとにやってきたのは悪い知らせだった。
ペイジから「このツアーを映画にするのは難しそうだ」との連絡を受けたマソット
しばらく他の分野で才能を発揮していたが、そこに突然グラントから連絡が入る。

 来てくれ、映画をつくりたいんだ。

不意をつかれたマソットは大至急クルーを招集し米国に渡った。
演奏シーンは全てニューヨークで撮影され、映像の仕上がりを考えて16mmでは
なく35mmが使用された。

バンドは当初から時間をかけて配給業者を説得する代わりに自分達で製作費用
を出すことにした、レコードと同じく映画も自身のプロデュースのもとで作成される
べきものだったのである。
それにこれは危険な賭けではなかった、彼らの映像をフューチャーした作品が
赤字になる可能性はほとんど皆無だったからである。

マソットによると、

 ただのコンサート・フィルムにするつもりはなかった、メンバー一人一人をきちん
 と見せたかったんだ。
 といってインタヴューを入れるような昔ながらの見せ方はしたくない、言ってみ
 れば彼ら一人一人が主演の短編映画ってことだ。

【イメージ映像】
彼らの映像については実際に映画を観て、ご自身で感じて欲しい。
今となっては賛否両論があるが、私はけしてあの映像は嫌いではない。
ファンの中には「あんな中途半端なものをインサートするなら純粋に演奏場面
だけで構成したほうがよい」という意見もある。
だが、あれも含めて・・・・これはツェッペリンという人間を描き出した「映画」なの
だから。



必ずしも予測できないことではなかったが、その後マソットは全身全霊を注いだ
このプロジェクトから降板させられてしまう。
後任に招かれたのはオーストラリア人のピーター・クリフトンだった。

後年、ペイジ

 この件については何も話したくないんだ。
 振り返ってみるとあのままでもよかったのかも知れない、マソットも彼なりに
 いろいろ考えていたんだろう。
 単にこっちの忍耐が足りなかっただけかもしれない、少なくとも最初のうちは
 そうだったし、気に食わないことがあると僕らはあからさまにイヤな顔をした
 からね。

ライヴ映像の問題の一つにキーとなる曲で引きの映像がまったく抑えられて
いなかったというのがある。
そのためエディターはペイジプラントの映像ばかり使わなくてはいけなかった。
また撮影から3年という準備期間もバンドの苛立ちに一役買っていた。
バンドが早くも失敗作とみなし始めたこの映画をめぐり、マソットはしかし恨み言
をいうことはなかった。
彼自身がスタートさせ、心血注いだプロジェクトだけにこうした結末には不満だ
ったはずなのだが。


こうして紆余曲折の末、1976年10月20日、ニューヨークにおいて彼らのライヴ
映画「狂熱のライヴ -The Song Remains The Same-」が公開された。

                                    (つづくw)


【ライヴ映像】
である本作品は当時のロック小僧であった私にとっては忘れられないものに
なりました。
高校生だった私は新設校に進学したこともあって、そこには軽音楽部(今でも
そういうのかな?w)もなく自分達で作った経緯があってロックやバンドという
ものについて特別な思い入れがあったのかもしれません。

だから当時を知らない若い人たちがこの映画について「演奏シーンがヘンw
なイメージ映像でとぎれるのはどうか」とか「画像が悪い、音質が悪い」など
といろいろ言うのは正直耐えられない気持ちになります。
戦争にしてもなんにしても・・・そのとき、リアルに体験してこなかった人たちが
何を言っても、実際リアルタイムに接してきた側からすれば「何も知らんで、
勝手なこと言うなっ!」って気持ちになるもんなんですね。
考えてもみてください、30年も前の作品です・・・今の基準で判断するほうが
おかしいと思うんですけどねw

てなこと言ってること自体、私も歳をとってきたのかもしれませんがw
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by shika_monologue | 2005-09-23 00:32 | 鉛の飛行船の話 | Comments(1)

原点

ツェッペリンのニュー・アルバムが、初めてスタジオでの冒険に飛び立った時点に回帰した
作品になることははっきりしていた。
一番明確な共通点が、ともに異常なまでの緊張感のなか短期間でレコーディングされた
ことだったが、リリース後のペイジは語っている。

 思うに「プレゼンス」はえらく過小評価されたアルバムだった。
 あれは純粋に熱意と気持ちだけで作られいる、というのは二度とあんなプレイができるか
 どうか僕らにも判らないってことだ。
 プラントに最悪の事態が起こっていたら中身もぜんぜん違ったものになったかもしれない。
 ストレートに気持ちを込めるという点では「プレゼンス」が一番だと思う。


スタジオはメンバーが宿泊していたホテルの地価にあり、彼らは時間に縛られることなく
レコーディングに打ち込んだ。
ツェッペリンは幸運にもストーンズが新作を録音すべくやってくる前の2週間ほどの空きを
抑えることが出来たのである。

ひとたびセッションが始まると寝食忘れてレコーディングし、一番の充実感を感じた作品
だという。
後年、ペイジはさらに、

 切羽詰っていたというか、みんな鬱憤が溜まっていたんだろう。
 バンドは休養充分だったし、リハーサルからむんむんするくらいの熱気だった。
 プラントの件も含めてこの先どうなるだろう、って感じだったから全員がそういう気持ちを
 うまく音楽に引っ張り込んだんだ。

まだ足首に体重をかけられなかったプラントは、しかたなく車椅子に座ったままヴォーカル
をレコーディングした。
ペイジは中でもアルバムの冒頭を飾る「アキレス最後の戦い」にえらく満足感を覚えた。

 「天国への階段」の時と同じくギターは全部僕一人でやった。
 あれ以来ギターをうまく重ねてハモらせるやり方をあれこれ考えてて、「PHYSICAL~」
 の「テン・イヤーズ・ゴーン」はその発展形だし、「アキレス~」も本質的にその流れを
 汲んでいる、というのもあの時は全然考えてるヒマがなくて最初のトラックが完了する
 とすぐに次のパートに入るって感じだったんだ。
 「プレゼンス」の仕事はめちゃくちゃ速かった、たまたま頭がうまく回ってくれたんだろう。
 僕はあのアルバムのギターにすごく満足している。
 たしかに不安定な時期だったし、全員の不安感がはっきり出てるけど「アキレス~」の
 ソロは「天国への階段」のソロにも匹敵すると思う。
 僕にとってはそれくらい高いレベルに位置してるんだ。

1990年にボックス・セットのリマスターを手がけた際にも、

 圧倒的なサウンドだよ、なのにこの曲を見過ごしている人がどれだけいることか。
 「プレゼンス」はバカ売れしたアルバムじゃないけど、僕が聞いた範囲ではけっこう
 評判だったみたい。
 けど、それまでのアルバムに比べると、売上はさほどじゃなかったんだ。


脅威のレコーディングとミキシングを完了したバンドは再び税金の心配のない友好的
なジャージー島に降り立った。
12月10日には地元のパブで350人の住人を前にお気に入りの古いナンバーを何曲
か披露したが、これが見逃せないライヴとなっている。
というのもプラントが椅子に座ったまま歌ったのである。
明けて1976年、キッダーミンスターの農家に戻ったプラントは事故以来初めて自力
で歩いた。

 一人の人間にとっては小さな一歩だが、マディソン・スクエア・ガーデンで6回公演
 をやるためには大きな一歩である。
                                  -ロバート・プラント


驚くべきことに「プレゼンス」は英国のレコード業界史上最も予約注文を稼いだもの
となり、ビートルズをはじめいかなるバンドも成し得なかったチャート初登場1位と
いう大記録を達成した。
ツェッペリンの基準からしてもこれは並々ならぬ偉業だったが、結局このアルバム
は前作、前々作のようなプラチナ・アルバムにはなれなかった。
しかし立ち上がりのよさは、いくらか迷いを見せ始めていたバンドを大きく元気付け
たのだった。

9月にはペイジボンゾの二人が短期間モントルーに向かい「全部がパーカッション
の曲」を完成させた。
ペイジは「この曲が次のアルバムに収録されるのは間違いない」と語っていたが、
現実には1982年に「CODA」の収録されるまで日の目を見なかった。
(賢明な方はなんという曲なのかわかると思いますがw)

スイスから戻ったペイジはそのキャリア中、もっとも厄介な問題、映像作家のケネス
・アンガー
とのいざこざに遭遇することになる。
(この問題書き出すとまた長くなっちゃうので端折ります、すいませんw)


個人的な苛立ちはよそに、メンバー達は特殊なプロジェクトの完了を目前にしていた。
1976年、ツェッペリンは一切のライヴを行わないがその代わりになる大作、世界一
ダイナミックなロック・バンドの活動を収めた長編映画が公開されることになる。
私生活でのごたごたも、この壮大なプロジェクトの妨げにはならなかった。

                                        (つづくw)



【この期間には】
プラントの事故もさることながら、ペイジの身辺にもいろいろごたごたがあったんですw
ドラッグの問題、ケネス・アンガーとの問題、それに女性問題(爆)
まあ、女性問題については落ち着くところに落ち着いたわけですが・・・・・
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by shika_monologue | 2005-09-21 00:06 | 鉛の飛行船の話 | Comments(2)

神秘

1976年3月31日、一年ぶりの新作はその誕生までが波乱万丈でした。
その象徴と言えるかもしれないヒプノシスによる「オベリスク」なる物体が印象的です。

d0021258_0145295.jpg

前年8月、自動車事故で重傷を負ったプラントでしたがこのアルバムのレコーディング
時には車椅子で臨んだようで、傷口が開いてしまったこともあったらしいです。

ファースト・アルバム以来の短期間レコーディングで、18日で終わらせるため一日18~
20時間を費やした、ということで緊張感溢れる一枚に仕上がりました。
アコースティックやキーボードが使われていないサウンドは前作までのソレとは明らか
に違ってて、彼ららしいといえばそうかもしれません。

とにかく後期を代表する作品ははっきりとギター・アルバムであり、それゆえギタリスト
から見ると参考にすべきテクニックやらサウンド・メイクやらが詰め込まれています。


ACHILES LAST STAND
ダビングしまくりのペイジのギターが「これでもかっ!」ってくらいに迫ってきます。
常時数本のギター・サウンドが聴こえていてまるでペイジが何人もいるみたいw
10分を超える大作で、本人曰く「まとめるのに苦労した」そうです。
初期のギター・アルバムが2枚目だとすると後期はコレなんですが、アプローチの
仕方という点ではぜんぜん違ってますね。
2枚目だとギターの音は(ダビングされていても)スタジオ・ライヴのように聴こえて
ましたがコチラは四方八方から迫ってくる感じがします。
両方持ってる方は是非比べてみてください(^^)

FOR YOUR LIFE
ストラトでのアームダウンも印象的なイントロで始まる曲ですが、このアルバムは
全体にシングルコイルの音がけっこう際立ってますよね。
例のレイクプラシッドブルーのストラトが使われているんでしょうか?
ペイジもストラトのシンクロナイズドトレモロはボディー密着で使用しているようで
アームアップはないようです。
私もストラト持ってたときはスプリングいっぱいに締めて使ってました。
そのほうが弦が切れてもチューニング狂わないし、ボディに密着してるほうが振動
がよく伝わってサウンドも変わってくる気がします。

ROYAL ORLEANS
このアルバムでのもう一つの特徴として、ブレイクがすごく効果的に使われている
というのがあります。
次の曲でもそうですが、メンバーのリズム感がよくないとブレイクって滅多に決ま
るもんじゃないんですよね~、コレはもう経験から言えることで何度リズム隊と
喧嘩したことか(爆)
ここまで3曲聴いてきて再確認したことがあって、ジョンジーのベース・プレイは
やっぱりスゴイんだなぁ!と当時感動しました(^^)

NOBODY'S FAULT BUT MINE
ペイジ&プラントとクレジットされてますが、実際はブラインド・ウィリー・ジョンソン
の作によるもの。
これは79年のコペンハーゲン公演でプラントがカミングアウトしてましたw
後年「Unleded」でもやってましたがアチラはアコースティック・ヴァージョンという
ことでぜんぜん違った形になってましたね。
ここでは久しぶりにプラントのハープが聴けて「あ~プラント健在でよかった♪」
と思いました(^^)

CANDY STORE ROCK
ペイジらしいリフで構成された曲で、全体のスイング感というか曲調としては
3枚目あたりに近いかもしれませんが、やはりキーボードがないという点では
「PRESENCE」してます。
随所に変拍子的なアプローチも見られて、この雰囲気というのは他のバンド
には絶対マネできないだろうなぁ、というのが当時の感想でした。

HOTS ON FOR NOWHERE
このアルバムにあってはPOPな印象をうける曲ですね♪(^^)
けどポリリズムな部分もあったりして、前曲が3枚目風ならコレは5枚目風?
ここでもブレイクがバリバリ出てきます。
こんなPOPな曲調なのに、ボンゾの分厚さといったらもう脱帽ですw
ステージ写真とかを見たことある方ならボンゾのドラムセットの少なさ(一つ
づつはデカいけどw)に驚いたことがあるかと思います。
あのセットでなんでこんな音がでるんでしょう?(^^;)

TEA FOR ONE
タイトルは明らかにスタンダードの「TEA FOR TWO」のパロディです(爆)
こちらはバリバリのブルース・ナンバー、ハードロックなアルバムの中で前曲
とともに異彩を放ってますね。
死に臨したプラントの叫びみたいなものが感じられて、静かな中にも今にも
爆発しそうな臨場感が溢れてます。


デビュー当時のツェッペリンがそのままの姿で進化していたらどうなっていたか?
というのが見て取れるアルバムですね。
「プラントの事故」という突発的出来事から生まれたといっても過言ではないと思い
ますが、そのため久しぶりにペイジ主導で作られたのは確かなようです。

とにかく一度は死を意識したプラントの復帰作ということで、そのテンションの高さ
は他に類を見ません。
ペイジはいつも「このアルバムは過小評価されている」と言ってます。

しかし事故のニュースを聞いたときはビックリしましたね~(^^;)
「ま・・・まさかっ!」という思いが頭をよぎったのを鮮明に覚えてます。

そのプラントの言葉・・・

 「PRESENCE」は全てに対する僕らの必死の抵抗の表れなんだ、生きている証
 が欲しかったんだ。



【皆様】
正座してお聞きくださいw
それほどの緊張感があります、このアルバムには(^^)
この頃はZEPPにどっぷり浸かってた私ですが、針を落として「ACHILLES~」が
始まったときはホントに身が引き締まる思いでした。

プラントが無事帰ってきてくれたことが何より嬉しかったですね(^^)
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by shika_monologue | 2005-09-17 00:15 | 鉛の飛行船の話 | Comments(5)

怪異?

英国のバカげた税法から逃れてモントルーを本拠地とした彼らは、休暇を取って
プラントは家族連れでモロッコに向かい、3週間後にはページも合流した。
広大なサハラ砂漠をドライヴして回ったが徐々に戦場に迫ったところで引き返す
ことを余儀なくされる。

その後モントルーに戻った二人は、後少しの休みのあと、秋から北米ツアーを
スタートする計画を立てた。
ロンドンでは来るべき映画プロジェクトの編集作業を監修していたペイジだが、
ガールフレンドのシャーロットや娘のスカーレットと再会した彼は、真夏の間は
プラント一家と一緒にギリシャのロードス島で過ごすつもりをしていた。

ロバートモーリーンプラント夫妻は二人の子どもとモーリーンの妹夫婦を連れ
モントルーからロードス島に旅立ったが、そんな彼らを惨事が襲ったのは太古の
廃墟を観て回ろうと車を借りたときのことだった・・・


モーリーンがハンドルを握り、プラントは助手席、子ども達とペイジの娘は後部
座席に座った。
車は幅の狭い道で横滑りし、モーリーンのコントロールから離れ断崖に転げ落
ちて木に激突した。

プラントは意識不明の妻を見るなり息絶えたと思いこみ、子ども達も怪我をして
いたがスカーレットだけはみたところなんともなさそうだった。
当のプラントも肘の骨が砕け、足首をひどく痛めていたのだが・・・
こんな辺鄙なところでは救急車を呼ぶこともままならず一家が果物用のトラック
に乗せられて地元の病院にたどり着いたのは、それから数時間後のことだった。

当時を振り返ってプラントは・・・

 横になって痛みをこらえてたんだ、ベッドからゴキブリを追い払いながらね。
 そしたら隣に寝ていた酔っ払った兵隊が「オーシャン」を歌い始めたんだ。


そのころロンドンではパニック状態だった。
税金から逃れるため南フランスへ行ってしまったグラントとは連絡がつかず、
リチャード・コールシャーロットからの電話で、モーリーンが死にかけており
現地では調達できない大量の血液を必要としている、と聞かされた。

コールは専門家達に連絡をとり、ジェット機を借りる手はずも整えた。
やっとのことで負傷者をローマまで空輸し、彼らはその足でロンドンに戻った。
プラント

 あの時すぐ英国に戻って一番の治療が受けられるだけのお金が無かったら
 はっきりいって奥さんも今ごろは生きちゃいないと思う。
 僕自身、生きているのがラッキーなくらい。

しかし、彼はラッキーともばかり言ってられなかった。
新税法によってこれ以上留まっていれば一財産を失うことになるからだ。
コールツェッペリン軍団で唯一国内に残ることができたメンバー)は、即座に
プラントをジャージー島まで運ぶ手はずを整えた。

残るメンバーとグラントも直ちにジャージー島に集結し、北米ツアーの延期を
発表、続いてプラントが負傷から回復するまでの間、カリフォルニアで仕事
がてらに休暇を取ることが決定された。
マリブにビーチ・ハウスを借りた彼らであったが、プラントはそこで行き交う
映画スターたちを観察し、プレスリーからの「一日も早い回復を」という電報
に刺激されて暇を見つけては詩作に勤しんだ。

表舞台から一時的に姿を消し、プラントが動けなくなったことで暗雲が立ち
込めていたにもかかわらず、彼らの人気は高まる一方だった。
9月末にはメロディ・メイカー紙の年間人気投票でツェッペリンが7部門の
首位を独占、以外の9部門でも上位にランキングされるという「前代未聞の
快挙」を成し遂げたことが明らかになる。
同紙によると、ひとつのバンドが7部門で1位になることは史上最多とのこと
だった。


とはいえ、8月の事故からプラントがいつ完全復帰できるのかについては
様々な憶測が飛び交っていたが、バンドは11月になってようやく以下の
ような情報を公開した。

 プラントの足首は目ざましく回復しているが、いまだステージに立てる
 状態には至っておらず、現状ではツアー・スケジュールは白紙である。
 完全に回復するまではいかなる計画も取り決めもなされることはない。
 同時に折った肘は順調に回復している、精神的には良好な状態だ。

この発表では、同時に11月いっぱいをミュンヘンのスタジオで過ごし、
翌年初頭に発売予定のアルバムに備えることが明らかにされた。

彼らはハリウッドのS.I.R.スタジオで断続的にリハーサルを進めており、
久々に再開したことで熱のこもったプレイを聴かせ、プラントまでも車椅子
に座ったままヴォーカルを担当した。
今回の事故が次のアルバムに何らかの影響を与えることは明らかだった。

ドイツへ向かう途中のプラントは車椅子を離れ杖をついて歩き始めていた。
生来について楽観視していた彼は・・・

 じっくり見直す時間が持てたよ。
 今までは自分達のやることに引きずり回されていた感じだったから。
 今回、全部をまっさらに見つめなおす機会が持てた。
 そんなわけでニュー・アルバムの歌詞は全部が「もうこれでお終いなん
 だろうか?」って思い悩んだ時期を反映したものになっている。
 このアルバムはすごくテンションが高い、それも元に戻りたいっていう
 僕の心の葛藤の表れなんだ。


こうして1976年3月31日、原点復帰のようなアルバム「PRESENCE」が
発売された。

                                 (つづくw)



【さすがに】
プラントの発言ばっかりになっちゃいましたねw
まあ、この時期は話題の中心はプラントだったんで仕方ないんですが(^^;)

とにかく7枚目はテンションという面ではこれまでで最高かもしれません。
でもこういう背景があるとそれも納得ってね♪
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by shika_monologue | 2005-09-10 00:24 | 鉛の飛行船の話 | Comments(1)

昨日、「コンスタンティン」を観た・・・

それがナゼに、音楽の話なのか?w

実は映画の中で冒頭出てくる新婦がいるんですが・・・じゃなくて、神父がいるんですが
その神父、魔よけのためのペンダントをしてましてね。

そのデザイン、どっかで見たな~なんて思いながら最後まで観終って・・・ハタ!と思い
当たりました。

どっかで見たはずです、→にある4つのシンボルの左から2番目と同じじゃないですか!
たしかジョンジーは古いシンボルの中から選んだと言ってましたが、こんなところで
お目にかかれるとは♪(^^)

(キャプできる環境があれば紹介できるのになぁ・・・最新DVDだからダメかな?)

いや~、長生きはするもんです(爆)

で、映画のほうですが最後のほうに出てきたサタン、印象強すぎてソレしか覚えてないw
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by shika_monologue | 2005-09-04 07:49 | 鉛の飛行船の話 | Comments(2)

凱旋

ビルボード3位で初登場した「PHYSICAL GRAFFITI」は翌週には1位に輝いた。
そればかりか、彼らがそれまで発表した5枚のアルバムが全て赤丸付きで返り咲いている。

2週目にして1位という記録はアルバムとしての最短記録であったが、アトランティックは初回
出荷数が200万枚、発売前にダブル・プラチナを獲得したと発表。
2ヶ月もしないうちにまたも圧倒的成功を収めた北米ツアーもあって、彼らのキャリア中最大の
アルバムとなったのである。

英国のメロディ・メイカー誌は「まさに神業、ツェッペリンのこれまでのキャリアを総括するととも
にロック全般を総括した作品にもなっている」と書いた。

このときばかりは恒例の酷評も少なく、70年代中期のロック・シーンを支配した彼らに恐れを
なしたのかほとんど聞かれなかった。
デビューから7年、6枚目のアルバムを発表するにいたりマスコミも彼らを真剣に捉えなおす
充分な理由となっていた。

新年にはバンドは大々的な北米ツアーを開始する。
ツアー前にはプラントがインフルエンザで倒れ、ペイジがロンドンに向かう途中で列車のドア
に指を挟んで負傷するという事故もあったが、こうした諸問題も全て後基地ツアーに挑んだ。
並のバンドであれば勢いを無くすところだが彼らはアクシデントをものともせず続行したので
ある。

とはいえ、ペイジの負傷によりツアー前半では「幻惑されて」にかわり「ハウ・メニー・モア・
タイムズ
」をプレイすることになったりしたのだが・・・(これは以前、曲紹介で書きましたねw)
バンドはすでにこのツアーで「PHYSICAL GRAFFITI」から何曲か披露することを決めており
カシミール」・「死にかけて」・「トランプルド・アンダー・フット」などがレパートリーに組み込
まれた。

この年のツアーは最高のサウンドを提供すべく圧倒的な内容を誇っていた。
事実、75年ツアーでは帰路につく観客でロック史上最もエキサイティングで楽しめるライヴ
だったことを疑うものはいなかった。

3月初め、バンドは北米での驚愕のショーを英国に持ち込むことを発表した(彼らが本国で
ライヴを行うのはまさに2年ぶりだった)。
母国の主流マスコミも初めてこのバンドを見出したかのような熱狂振りで飛びついた。
「ロックの神々」、「新たなスーパースター」、「ツェッペリンビートルズよりビッグ?」・・・
様々な見出しが躍るが、こうした評価をし始めた連中はそれまでどこに潜んでいたんだろう。

ロンドンで目を見張る成功を収めた彼らはしばし休息を取り、ペイジプラントはモロッコに
向かい、ジョンジーボンゾは家族連れで田舎に引きこもった。

そのころシーンでは様々な憶測が飛び交い、ファンは彼らの新作を求めつづけた。
が、フィル・カーソン(またまた登場w)は年一枚のアルバムを製作することがバンドにとって
いかに困難な事業であるかを辛抱強く説明した。

また、ペイジ曰く

 一番の問題はぼくらが働きすぎだってこと、一般には一日中ヒマを持て余しているように
 思われているんだろうけどそれは全然違う。
 バンドがスタートして以来、休みらしい休みは取ったことがない。
 海外でもけっこう仕事してるし、今以上のペースでアルバムを作成するなんてとても出来
 ないんだ。

現状から最大限の満足を導き出す・・・それが彼らの信念であり、そのおかげでツェッペリン
は走り続けてくることが出来た。
当時、プラントが語っていたように

 今回のアルバムと同じような喜びを感じられる限り、他の何にも手を出す気になれない。
 それが苦痛になってきたら、さっさとやめにしちゃうだろうけど。



この時点では・・・プラントも他のメンバーも、先に待ち受ける運命を知る由もなかった。
彼らは英国の夏を他人に干渉されない環境で過ごすため、また新たな音楽的方向性を
見つけるために田舎の隠れ家に引きこもった。
のちに誰も予想し得なかった事件が続発することになる。

今にして思えば、このときツェッペリンの第一期が終了し、新しい幕開けが迫っていたの
かも知れない。

                                         (つづくw)



【夏季限定】
な出来事がこの後、彼らを襲うことになるんだけどw、当時は「よくもまあ、こんないろんな
ことが起こるよな~」って思いましたね(^^;)

ペイジのオカルト趣味は有名な話しですが、ホントに関係してるんじゃないか?って勘ぐる
のが普通になってましたもん(爆)
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by shika_monologue | 2005-08-27 01:09 | 鉛の飛行船の話 | Comments(2)

新天地

1975年2月24日、ツェッペリン初の2枚組み、聴き応えは十分♪
そして私にとっては№1となるアルバムが発売されました(^^)

d0021258_0341687.jpg

」に続きましてギミック・ジャケットになってます(^^)
ジャケットに穴があいていて内袋を出すと窓の中がスライドして・・・って具合w
このアルバムの特徴は、とにかく多彩だということ、いろんな曲調が集まって
一つの大きな作品として成り立っていること。

前作で「ツェッペリンは全作品がデビュー・アルバム」って言ってたの、覚えて
おられますでしょうか?w
しかし、そこには確固たるツェッペリン魂が溢れていると。

このアルバムが2枚組になった理由の一つに、それまで()に入りきら
なかったアウトテイクが採用されている、というのがあります。
一枚づつ聴くとぜんぜん違うように聴こえる3枚ですが、そこに収められたかも
しれない曲をこうやって続けて聴くと、ぜんぜん違和感がないんですね(^^)

どの曲も・・・・・ツェッペリンなんです♪


CUSTARD PIE
前に「LEMON SONG」で触れましたが、英語の先生に睨まれる曲、第二段w
タイトルの「CUSTARD PIE」ですが・・・えと、その・・・女性の・・・・・です(爆)
スラングとはほんと、恐ろしいもんですよね~w
普段ぜんぜんそんなこと意識せずに聴いてるのに、判る人が聴けば判る・・・
皆さんもお気をつけください(^^;)
さて曲はといえば、ジョンジーのクラビネットも印象的な、初期のツェッペリン
を思わせるハードな曲です。
自分達のレーベル「SWAN SONG」としての第一弾、ペイジの力の入れよう
が伺えるオープニング・チューンになってます。

THE ROVER
ボンゾのドラムから始まるこちらもヘヴィな一曲。
ギタリストの観点からいうと、この曲でのペイジのソロは大好きです♪
またジョンジーには珍しくシンプルなベースラインが全体を引き締めていて
私はライヴでちょっと緊張感を持ちたいときにやってました。
この曲、ギター・サウンドをよく聴いて欲しいんですがとても歪んでます。
が、途中に出てくるアルペジオの部分とかソロは驚くほどクリアな音ですね。
それでいて存在感バリバリに聴こえる曲つくりがなんともペイジ。
このA面(当時w)はとにかくテンションがあって、新生・・・・だけど懐かしい
感じがこのあと一気に最後まで聴かせてくれます(^^)

IN MY TIME OF DYING
オリジナルはかのボブ・ディラン、こちらも機会があれば聴いて頂きたい
名曲ですがツェッペリン・ヴァージョンもすごいですよね(^^)
重い印象があるんですがw、オープン・チューニングゆえの弦のテンション
でサウンド的には結構張り詰めた表情を見せます。
導入部のスライドではリズムがあってないように聴こえますが実際はめちゃ
忠実に弾いているんですよね~♪
この曲、アナログ盤では曲の最後にメンバーによる談笑が入ってましたが
CD化されたときにソコの部分がカットされてて物議をかもし出したって経緯
がありますw

HOUSES OF THE HOLY
その名のとおり、前作からのアウトテイクですがw
そういえば「MISTY MOUNTAIN HOP」などと同じ色をしてるかもしれません。
これは聴いてもらえば判ると思いますが、ギターの音を弄ってませんね、
アンプ・ダイレクトな音出してます(アンプのオーバードライヴはありますが)。
リフの合間合間に入ってくるフィルインのようなギター・フレーズが単調に
なりそうな曲調に変化をもたらしてます。

TRAMPLED UNDER FOOT
ジョンジーのクラビネットがここでも炸裂してますね(^^)
かな~りファンキーな感じのする曲ですが、モータウンなどに傾倒していた
ジョンジーの音楽的嗜好がよく判る一曲です。
曲調もそんな感じで一つのパターンを繰り返すという手法がとられていて
ノリ一発という印象です(^^)
8ビートのドラムに16ビートな他のパートが乗っかっててカコイイですね。
こういうのは演り手が上手くないとどうしてもショボ~ンと聴こえちゃいます
が、やはりツェッペリンが演奏ると一味違います♪

KASHMIR
出ました、「KASHMIR」です・・・判る人には判ると思いますが(爆)
今では「STAIRWAY TO HEAVEN」と並び称されるこの曲、若い人達には
ハリウッド版「ゴジラ」のエンディング・テーマといった方が判りやすいかも
しれませんね(^^)
ここでもポリリズムが印象的で、ボンゾが珍しく手数少なく叩くドラムに他
のパートが絶妙なタイミングで絡み付いています。
「STAIRWAY TO HEAVEN」はもう、ロック・スタンダードとして別世界に
いっちゃってるんでw、「ツェッペリンの曲の中で一番好きなのを選べ」と
言われたら、私は迷わずコレを挙げます(^^)

IN THE LIGHT
前曲もそうでしたが、これも中東を思わせる曲調で始まりますが、一転
してハードな音へと変わっていく展開が絶妙でペイジの真骨頂といった
感じです。
ここでも弓によるプレイは取り入れられていて独特な雰囲気を聴かせて
くれますね(^^)
後半急に明るくなるんですがw、ここでもジョンジーのキーボードが程よく
いい気持ちにさせてくれます。

BRON-YR-AUR
アコギ一本で聴かせるブリッジ的な短い曲なんですが、シブイです(^^)
聴くところによると「DADGAD」で弾かれてるらしい(他のオープンかも・・・)
んですが、私はコレを普通のチューニングでコピーしました(爆)
ライヴ後のバックステージで、心地よい疲れとともにちょこっと演奏ると
モテる・・・・・かもしれませんw
映画ではメンバーがMSGへ行く道程でBGM的にかかってたっけ・・・・・
あれ?エンディングだったかな?(確認しろよ!w)

DOWN BY THE SEASIDE
古きよき時代が感じられる曲ですがそれもそのはず、ギターにトレモロ
かかってますねw
ビートも3連のノリで懐かしい感じがしますし、ジョンジーのキーボードも
一昔前のエレピみたいな音で全体の雰囲気が統一されてます。
途中で一回リズム・チェンジするんですが最後にまた戻ります、この時
各パートでノリがズレないようにするの、至難の業ですんで機会があれ
ば演奏ってみてください♪w

TEN YEARS GONE
一瞬アコギかな?と思うほどクリアなエレクトリックで始まる静かな曲。
途中ディストーションの効いた音に変わるけど、曲調としては「静」です。
なんでそんな印象を受けるのかな?と思ったら・・・ボンゾのドラミングが
大人しい!w
ファンクをやってもレゲエをやっても重かった音が、やけに静かなんです
よね~w、いやぁ、ボンゾ君も大人になったもんだ(爆)
ちなみにギター、6弦が「D」にチューンダウンされてます。

NIGHT FLIGHT
ストレートに伝わってくるロック・チューンですね(^^)
イントロのハイハットでも判りますが、16ビートで演奏されるのでノリは
完璧です、特にAメロのコードストロークの部分とかは体でリズムを感
じてないとたぶんモタついちゃうでしょうね(^^;)
ここでは12弦でストロークを弾いているようですが、音的には4枚目の
ころのソレではなく、たぶんWネックを使ってるんだと思いますね。
これも途中でシンプルなロックンロールに変わって8ビートになります
が、ここんところのメリハリは流石の一言です♪

THE WANTON SONG
めいっぱいブレイクが使われ、ハードなリフで展開される「いかにも」
って曲ですね。
ベースもギターとユニゾンで弾かれてるし、バスドラも16ビートパターン
でこんな複雑なリズムのリフをなんでピタッと合わせられるんだろう?
って感心しっぱなしです(^^;)
そのくせ、ギター・ソロの部分はけっこうクリアなサウンドでトレモロも
使っちゃったりしてソフトな感じがしますね(ドラムは重いけどw)。
どちらにしても「ツェッペリン」な曲ですw

BOOGIE WITH STU
ストーンズのピアノを弾いていた故・イアン・ステュワートも参加した
お遊び感覚満点のアコースティック・ブギ♪(タイトルそのまんまw)
ペイジのリフは典型的なロックンロールだし、ボンゾのドラムに至って
はハイハットの代わりにタンバリン、スネアはリム・ショット(^^)
しかも1/8拍子のタイミングでエコーがかかってて、生で復元するの
は難しいと思いますw
しかし、ステュワートのブギ・ピアノは絶品ですね♪

BLACK COUNTRY WOMAN
引き続きアコースティックな、こちらはブルース。
アルバムの後半にこういう曲を並べてくるあたりペイジによる構成の
妙が伺えます(^^)
前曲もそうですが、マンドリンの音が入っていてアコースティック感を
いやがうえにも煽ってきます、が・・・w
ボンゾのドラムは相変わらずです(爆)、いい意味で。
シンプルな8ビートなんですが、持てる力の全てで叩いているような
迫力があり、プラントのハープも小技満載で巧い♪
ギターはここでもオープン・チューニング(G)なんで独特のテンション
です。

SICK AGAIN
とにかく集大成的性格があるアルバムなんで、曲ごとにいろんな顔
を見せてくれますが、この曲はそんな本作の最後を飾るに相応しい
ハードな曲で盛り上げてくれます(^^)
特に直前の2曲がアコースティックだったこともあり、このアルバムの
セットだけでライヴ一回できるんじゃないの?ってくらい。
リズム的にはいい意味でルーズ、とにかく重いです。
これはドラムだけの話じゃなく、全てのパートがホントに重いんですw
しかもスライド・ギターや変拍子的展開、オープンぎみのチューニング
など、アルバムを統括するような曲で「最後、盛り上がって終わろう!」
って感じがありますね♪どっかの宴会みたい(爆)


ということで全15曲、どれをとっても名曲です♪
それに過去のアウトテイクが採用されているということは・・・
とりもなおさず、どのアルバムも名作だということに他なりません。

ツェッペリンといえば4枚目、とにかく「STAIRWAY TO HEAVEN」は
誰でも知ってるスタンダード中のスタンダードということで異論はあり
ませんが、私的にはこのアルバムのカラフルさというのは捨て難い
です(^^)やはり。

特に「KASHMIR」における「静かな迫力」はそれだけで記事ひとつ
できそうなくらい傾倒しちゃってます♪
(だからホントは「ゴジラ」とかで使って欲しくなかったんですよw)
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by shika_monologue | 2005-08-19 00:35 | 鉛の飛行船の話 | Comments(2)

大作

積極的に(?)社交的な場を避けてきたバンドにしては珍しく、このときメンバー達は
進んで脚光を浴び、自分達以外でレーベルが成功を収めたことを大いに喜んでいた。

彼らがゴールドやプラチナ・ディスクを獲得することは目新しくなかったが、所属する
アーティストが匹敵する人気を得るというのはまったく別の喜びであり、彼らもその
キャリアにあって新たな意欲をかきたてられた。


ツアーと無縁で過ごしていたメンバーで一番最初にステージに戻ったのはジョンジー
だった。
74年8月のフリー・コンサートでロイ・ハーパーデイヴ・ギルモアらと共演、翌月には
ペイジが米国でバッド・カンパニーのコンサートに参加している。

旗揚げしたばかりのスワン・ソングにあって、自身の6作目のアルバム・レコーディング
は何にも増して重要なプロジェクトだった。
73年末から開始された作業は、しかししっくり来なかったため棚上げにされ再開され
たのは74年2月に入ってからである。
ペイジは新しいアルバムについて

 次のアルバムにもやっぱり複雑な曲が入ることになるだろう、それとヤードバーズ
 時代にやっていたソロ曲を基調にしたアコースティック・ナンバーが入るかも。
 だけど大半はストレートなロックンロールに立ち帰ったものになると思う。

2枚組、全15曲におよぶ新作は70年代中期という時点でバンドが受けていた影響
の数々を提示する作品となる。
2枚目の冒頭を飾る「イン・ザ・ライト」のイントロからははっきりとインド音楽の影響が
窺えた。

しかし初期の段階でアルバムの中心的な曲とされていたのは、原題を「ドライヴィング
・トゥ・カシミール
」という大作だった。
この曲はもともとペイジが数年前から手がけていた「ギター連作曲」として自宅で録音
したテープに収められていたが、この連作曲からは他に「ブラック・マウンテン・サイド
や「ホワイト・サマー」、さらに未発表曲「スワン・ソング」などが生まれている。

近年、プラントは振り返っている。

 あの歌詞はゴウリマインからモロッコ南部のタン・タン、かつてスパニッシュ・サハラ
 と呼ばれた地域に至る長い道路からインスパイアされた。
 砂漠を縦断する一車線の道路だった、すごく荒れ果てた道でね、だんだん川の底
 を走ってるような気分になってくるんだ。
 「イン・ザ・ライト」など他にも2、3曲ほどいい歌詞はあるけどこれは極めつけだ。
 でも一番圧倒的なのはこの曲のムード、ボンゾがプレイを倹約してくれなかったら
 僕らはあんな傑作はモノにできなかっただろう。
 あいつが手数を抑えてくれたおかげであんなに上手く仕上がったんだ。

加えてペイジ

 オーケストラとメロトロンを合体させてギター・パートをそっくりそのまま弾かせると
 いうアイデアがあって。
 ジョンジーは全セクションをメロトロンの即興でプレイすると、最後のフェイドアウト
 のところに上昇音階のリフを追加したんだ。

後日、メンバーはこの曲こそがツェッペリンの真髄だったと口を揃える。

 この曲にはバンドに欠かせない全てが揃っているんだ。
                             -ジョン・ポール・ジョーンズ

複雑なジャケット・ワークにメンバー全員が納得するまでには様々な障害があり、
そのため新作の発売は半年間延期されたが、これらの事態も新作に対する世間
の反応をいささかも損ねなかった。

こうして1975年2月25日、彼らとしては初の2枚組大作「PHYSICAL GRAFFITI
が発売された。

                                    (つづくw)



【今回は】
ちょっと短めですがお許しくださいm(_ _)m
なにせ次は全15曲のコメント書かないといけないんでw
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by shika_monologue | 2005-08-09 00:52 | 鉛の飛行船の話 | Comments(2)

スワンソング

アルバムのリリースを春まで延期して、バンドは9度目の米ツアー用に趣向を凝らして
いた。
さらに注目すべきはそれまで一貫して無用論を唱えてきた米担当広報の採用を真剣に
考え始めたことである、ようやくツェッペリンはマスコミに対して門戸を開くことに決めた。

彼らはまたステージ構成にも大幅な改変を加えることにした。
これは多様なキーボードを操るようになったジョンジーに対する便宜を図る目的があった。
ペイジは語る。

 一番のポイントは徐々にヴォルテージを上げていくんじゃなく、最初からある程度火が
 点いた状態でスタートしたいってこと。
 もうひとつの変化は、これまで照明らしい照明を入れてなかったから(大掛かりな照明
 装置を導入して)ちょっと雰囲気を変えてみるのも面白いかなと思ったんだ。

またドラムセットの隣に高さ8フィートの反射板を取り付け天井からは2基のミラーボール
を吊り下げ、スモークマシンやキャノン砲の設置などドラマティックな演出を試みた。
フィナーレではボンゾが巨大なゴングに火をつけるという趣向も凝らして、「永遠の詩」
でもこれらを観ることができる。


こうした変化とともに、デビュー以来一貫して創造的な自由を追求してきた彼らを思えば
バンドとグラントが独自のレーベルを設立しようと考えたのは当然だったのかもしれない。

彼らはスタジオで、そしてステージでいっさいの管理を受けることのないよう常に戦って
きた。
ツェッペリンが新レーベルをスタートするにあたってはすでに理想的な状況だったがそこ
は彼ららしく一味違ったアプローチで挑むこととなる。

73年~74年の冬、比較的長期のオフをとったバンドは春に新レーベル設立への動きを
見せ始めた。
マスコミに噂が出るやいなや、プラントは新しいレーベルが才能重視のまっとうなもので
ロックの発展に寄与することになるだろう、と明言した。

レーベル名をあれこれと考え出したときまず出てきたのが「スラッグ」とか「スラット」とか
彼らの米ツアーを即座に連想させるものだったが、それは彼らの本意ではなかった。
クリエイティヴな話し合いの中で提案されたのは「ステアウェイ」「デラックス」「エクリプス」
などなど、そして最後に偶然生まれたのが「スワンソング」だった。

 「スワンソング」ってレーベルの名前にはうってつけだと思う、「白鳥がいまわの際に
 歌う曲」で成功できないようなアーティストとは最初から契約しないほうがいいからね。
                                   -ジミー・ペイジ

 「レッド・ツェッペリン」ってのはようするに「墜落する」ってこと、で「スワンソング」って
 「最後のあがき」、僕らにとってこれ以上うってつけの名前はないじゃないか。
                                   -ロバート・プラント

すでにその力を実証していたビッグ・アーティストの新レーベルだけにその成功を確信
したフィル・カーソンは、最初から大いにノリ気だった。

 誰が見ても成功間違いなしのレーベルだった。
 非常に優れたマネージャーであることを抜きにしてもピーター・グラントは非凡な才能
 に恵まれた男だ、先のことを見越すコツを知っていたというか。
 その上プロデュース面で監修するのがジミー・ペイジとくれば、これはもう成功しない
 ほうがおかしいじゃないか。

スワンソングは5月に米国で旗揚げされ、発足パーティが開かれた。
レーベルの第一弾リリース(ツェッペリン自体は自分たちのレーベルの第一弾リリース
になるのを嫌った)は大いに期待の持てる作品だった。
60年代後期に英国で活躍したメンバーによるスーパー・グループのデビュー・アルバム
バッド・カンパニー」とシングル「キャント・ゲット・イナフ」は瞬く間にヒット・チャート上位
に食い込み、レーベルは一気に上昇気流に乗った。
ここでもまた、彼らの目論見はみごとに当たったのである。

                                         (つづくw)



【自己満足な】
自主レーベルが多かった中、スワンソング設立時は第一弾がバッド・カンパニーだった
ことは、当時たしかに驚きでしたw

しかし設立後一年たらずで「バッド・カンパニー」、マギー・ベルの「熟れた果実」、
プリティ・シングスの「シルク・トーピードゥ」、そして「フィジカル・グラフィティ」と4枚の
アルバムを同時にチャートに送り込んじゃったんですね(^^)
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by shika_monologue | 2005-08-05 00:45 | 鉛の飛行船の話 | Comments(4)

進展

1973年3月28日、前作が発表されてから約1年半たちました。
結局1972年は一枚もアルバムが出ていません、当時どれだけ待ち焦がれたかw

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初めてタイトルが冠されたアルバムで、これからジャケット・アートはヒプノシス
担当していくことになります。
このジャケットも不思議というか、よく意味がわからない独特の雰囲気を持って
ますが・・・一所懸命上っていった先にはいったい何が待ち受けてるんでしょうね。

ますますワールドワイドになっていくツェッペリンですが、ここでもレゲエのテイスト
を取り入れたり小技が効いてます。
ジャケット同様にカラフルな内容で、ますますジョンジーの色が強くなってくる中で
ペイジの曲つくりの上手さというかプロデュースの手腕にも磨きがかかってきて、
私の中ではお気に入りの一枚ですね(^^)


THE SONG REMAINS THE SAME
ライヴでは「STAIRWAY TO HEAVEN」と同様にWネックで弾きまくってますね。
幾重にもダビングされたスタジオ・テイクをその迫力そのままに再現するWネック、
やはり12弦ってのはスゴイと思っちゃいました(^^)
しかしまあ、リフというか・・・ともすれば全体がギター・ソロのような曲なんで一瞬
たりとも気が抜けず、これライヴでやると指が攣りそうになりますw
今だったら絶対無理だろうなぁ・・・・しかもWネックが重いのなんのって・・・(T-T)
手離したらヘッドが下がっちゃうし、肩はぱんぱんになるし、ってグチってどうするw
とにかく、スピード感という点ではツェッペリンの中でも1、2を争う一曲です。

THE RAIN SONG
前曲から引き続き12弦によるギターの音から始まるんですが、こちらはしっとりと。
ライヴでもこの2曲は続けてプレイされてその緩急のつけ方に打ちのめされます。
展開はドラマティック、ボンゾのセットにはティンパニーがどでんと置かれてるんです
が、そんな曲調にこの音がまたぴったりとハマるんですね(^^)
前作から使われ始めたジョンジーによるメロトロンが、さらに盛り上げてくれます。
後に「IN THROUGH THE OUT DOOR」などに続いていくジョンジーのキーボード
プレイの始まりはこのへんにあると思うのは私だけでしょうか?

OVER THE HILLS AND FAR AWAY
導入部のアコースティックによるリフはペイジのアコギ・プレイの中でも一番好き
なんですよ(^^)
で、ここでもやはり絡んでくる12弦の音色、最高です♪
静から動へと展開していく手法はペイジとしては得意なものですが、中間の動の
部分もいいですね。
ただライヴではアコギからエレクトリックに持ち替えるなんて器用なことは私には
できないんでw、ヴォリューム・コントロールでこの変化を出そうとして何度失敗
したことか(^^;) やぱソリッドステートのアンプじゃ上手くいきませんでした。

THE CRUNGE
とにかく音楽性の高いこのアルバム、しかしこの曲の成り立ちはちょっと面白い
というか・・・
ジェームス・ブラウンをパロったという曲ですが、たしかにファンキーですw
が、リズム的にはおそろしく変!(爆)
というのもダンス・ミュージックに皆が踊らされている状況に、ならば踊れない
ダンス・ミュージックを作ってやろうってんでペイジがヒネくれたとか、そうで
ないとかw
いや、確かにこの曲で踊ろうとすると・・・・めちゃ無理がありますね(^^)

DANCING DAYS
後期のツェッペリンにはこういううねるようなリフが多くなってくる気がします。
「WHOLE LOTTA LOVE」とか「IMMIGRANT SONG」のようにカキッとしたリフ
じゃなくハンマリング・オンとかプリング・オフを多用したような、音としては
スライドとかそういうのに近いフィーリングでうねり(グルーヴ)満載ですね(^^)
ツェッペリンのアルバムとしては折り返し地点(CODAは厳密には違うけど・・・)
ということで4枚目とは違った魅力というのが見えてきますね♪

D'YER MAK'ER
レゲエのリズムを取り入れたというか、パロったというかw
何をやってもボンゾの重量感というか、パワーは物凄いですよね~(^^;)
それに対比するみたいなジョンジーの軽快なピアノがまたいいんですよ。
しかし皆さん、このタイトルってナゾじゃないですか?
なんか英国の古い言いまわしのパロらしいんですけど、英語に詳しい方、
いらっしゃったら是非くわしいこと教えてくださいw

NO QUARTER
この曲の主役はジョンジーです、紛れもなくw
映画でもそうでした(爆)
「IN THROUGH THE OUT DOOR」に入っててもそんなに違和感なかったん
じゃないですかね?
一回ライヴでこれのUnpluged(当時はそんな言い方なかったけどw)やった
ことあるんですよ(^^;)生ピアノと生ギターでw
てか、そのときはキーボードが故障して生でやるしかなかったんですが(^^;)
後にペイジ=プラントが「Unleded」で演奏るワケですが、ウチが先です(爆)

THE OCEAN
またまた出ました、ZEPP流変拍子w
ドラムにボンゾが言ってる意味の判らんカウントごとコピーさせた記憶が
あります(爆)
このリフはお気に入りの一つですね、弾きやすいんですけど雰囲気バッチリ
みたいなw
後半急に軽快になる展開も好きでここでも対比の妙みたいなものを教えら
れた気がします。
私的には片手に入る一曲です(^^)


ツェッペリンの場合、アルバムごとにカラーが違いますよね?
それを統一性がないと見るか、懐が深いとみるか・・・それは聴く人によって
様々だと思います。

ただミュージシャンにとってデビュー・アルバムってめちゃパワー感じるじゃ
ないですか、ツェッペリンは全てのアルバムをデビュー・アルバムのように
新たな感動を持って聴くことができるんですよ。
これって凄いことだと思いませんか?

そしてそこには変化しながらも普遍な4人のカラーを感じ取れる・・・
後にも先にも、そんなバンドって見たことありません(^^)
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by shika_monologue | 2005-08-01 00:36 | 鉛の飛行船の話 | Comments(2)