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やもり君 (ショートショートだもんっ♪w)

ウチは都会とはいえませんw

山も近いし、大阪市内よりは常に2~3度気温が低い・・・そんな環境です。
だからときとして正体不明な生物が出没するというのは以前書きましたねw

ここんとこ急に気温が下がってきて肌寒いくらいになりましたが、彼らも外での
活動が辛くなってきたんでしょうか・・・・


ふと壁を見るとなにやら黒いモノが張り付いていました。
全長5cmくらいのソレは「やもり君」でした(^^)、彼らにしてみれば気温の低下
は文字通り死活問題、それで避難してきたのかな?w

その後ちょろちょろと走って棚の後ろに隠れてしまいましたが、しばらくは彼と
(彼女かもしれませんが)同居になりそうです(^^)
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by shika_monologue | 2005-09-30 00:46 | 閑話休題 | Comments(5)

大阪 vs 広島

先日、焼きソバについて書いたんで今日は「お好み焼き」でw

お好み焼きといえばやはり「大阪vs広島」ですね。
私としては関西人なんで「大阪」が好きなんですが、ホントのところは第三者に
判断してもらったほうがいいんでしょうね(^^;)

てことで、そのへんはなおさんにでもお任せするとして(爆)


ここでも勝手な好みなんですが「豚玉」が一番好きなんですね~♪
最近はいろいろ具が入って豪華なモノも増えてますが、やはり「お好み焼き」は
「豚玉」ですw

お腹が減ってるときは「豚モダン焼き」(知らない方のために・・・お好み焼きにソバ
を入れたものです・・・え?知ってる?w)を頼んだりしますが、ホントは「豚玉」を
2枚食べたい人なんです(^^)


さて、貴方は「何玉」が好き?
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by shika_monologue | 2005-09-29 08:17 | 「食」の話 | Comments(6)

怪異 Part.2

1976年10月19日、待望のムーヴィー「永遠の詩」のワールド・プレミアが行われた。
同時に2枚組のサウンド・トラックもスワンソングからリリースされ、このアルバムは
米国で出荷と同時にプラチナを獲得、11月半ばには英国でもチャート首位に輝いて
いる。

しかし、撮影から3年という期間があったせいかメンバーはこの映画について語る
とき、いつも遠慮がちだった。

ペイジも・・・

 現実に映画で使われたギグについて言うと、飛びぬけていいわけでもなかったが
 飛びぬけて悪いわけでもない。
 魔法みたいな一夜じゃなかったのは確かさ、でも悲劇的な一夜でもなかったんだ。


永遠の詩」を一目見ようと世界中のファンが映画館に通う中、メンバーはロンドン
郊外の古い映画館(エマーソン・レイク&パーマー所有)で精力的なリハーサルを
開始していた。
プラントの足首の傷もこの頃にはすっかり癒えて、11回目の北米ツアーがスタート
し、夏の終わりには英国でも公演が予定されていると、大々的に発表された。
が、プラントが扁桃腺を患ってしまったため延期となり、エイプリル・フールのダラス
から幕を開けた。

3月末に待望のステージに向けて始動したメンバーは、しかし2年ぶりとあって
それぞれナーヴァスになっていた。
特にプラントは、

 プレイ自体にはまったく心配はなかった。
 ただ気がかりだったのは足を負傷したままで好きに動けるかってこと。
 最初の2、3回はひとつひとつの動きを確かめながらって感じだった。
 でもステージへの階段を昇っていくうちにそういう不安や嫌な感じはなくなって
 興奮が取って代わっていった。
 「ああ、なんて久しぶりなんだろう!」って・・・あそこに戻れたのがとにかく嬉し
 くてたまらなかったんだ。


もうひとつ、バンドにとって問題だったのが新曲がなかったことだった。
毎回、新曲を敢えてレパートリーに組み込むことで誇り高いリスクを冒してきた
彼らも今回は「過去の栄光」にすがるしかなかったのである。
それでも観客はツェッペリンが復活しただけで大満足だったが、彼らは「新たな
栄光」の欠如を快く思っていなかった。

 最初のうちはステージ上で大丈夫だろうか?って顔を見合わせたりもした。
 でも徐々に調子よくなってきて・・・
 単に昔の焼き直しじゃなくて、もう一段上のレヴェルに達していたんだ。

確かにツアーを開始する前から周囲では懸念する声があがっていた。
本来、あらゆる面で士気を高めていく立場にあったグラントでさえ、妻が自分の
農場で働く農夫と駆け落ちしてしまったせいですっかり落ち込んでしまっていた
し、ペイジの万全の体調とは言えずバンドの周辺にはヘロインが蔓延していた。

当のペイジはこう語っている。

 安全策なんて取りたくない。
 ギリギリの崖っぷち・・・そんなふうに生きたい。
 羊として千年生きるより、獅子として一日生きたいんだ。


バンドはレパートリーから「幻惑されて」を外していたが、友人によるとペイジ
ライフスタイルにおいてはこの曲は相変わらず不可欠の要素となっていた。
ペイジは前々からカイロにあるクロウリーペイジのオカルトの師匠と言われる
人物)の旧宅を訪れたいと言っていたが、ツアーが2週間の休憩となったのを
機に、いよいよそれを実行することにした。

リッチー・ヨークはその報せに悪い予感がした。
彼は過去にジミ・ヘンドリックスと語る機会があったが、そのときもジミは米国
からエジプトに向かうところだった。
そして、それがジミ最後のインダヴューとなったからである。
しかしそれは不要な心配であったようで、ペイジは無事エジプトから帰還して
いる。


その後もいろんな問題がありながら、それでも成功を収めていたツアーだが
ニューオーリンズに飛んだプラントのもとに英国にいる妻のモーリーンから連絡
が入っていると知らされた。

2時間後、彼は5歳になる息子の死という報せとともに再び姿を現した。
7月26日、息子のカラックは突然ウィルス性の呼吸障害に襲われ、翌朝には
さらに容態が悪化、病院に到着する前に死亡してしまったという。

立ち直れないほどのショックを受けたプラントは、妻と合流すべくボンゾと共に
英国に向かった。
空港で彼を出迎えた父親はマスコミに語った。

 成功も名声もいかばかりのものだろうか?
 家族の愛に比べれば、ほとんどなんの意味も持たないのだ。

                                    (つづくw)


【というわけで】
事故に続き、プラントを襲った悲劇・・・この後しばらくは彼らはまた公演を全て
キャンセルして喪に服すことになっちゃいました。
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by shika_monologue | 2005-09-28 02:31 | 鉛の飛行船の話 | Comments(1)

貴方にとって「焼きソバ」とは?

「焼きソバ」ってね、お好み焼き屋さんのソレと中華料理屋さんのソレはぜんぜん
違うじゃないですか。

貴方にとっての「焼きソバ」ってどっちですか?w
私は「お好み焼き屋さん」のソレです(^^)

ようするに「ソース焼きソバ」なんですよね♪
それもごてごてといろんな具を入れてはいけません!
男は黙ってキャベツと豚肉!  コレです(爆)

まず豚肉を炒め、そこにキャベツをブチ込み、ちょっとの水と塩コショウで味付け。
キャベツが少ししんなりしたら麺を被せてキャベツと肉を蒸し焼きに・・・

そしてソース(おたふくソースねw)と少量のケチャップをかけて手早く混ぜる!
ここをサボってはいけませんっ♪

手早く、しかし確実に混ぜるべしっ!混ぜるべしっ!混ぜるべしっっ!!!!w

それを皿に盛り、かつを節と青海苔、紅しょうがを少々・・・で、出来上がり♪

もしも豪華にしたければそこに目玉焼きを乗せる、間違えても他の野菜を入れて
具を増やすことで豪華に見せようなどと考えてはダメです(爆)


私としてはソースとソバの絶妙な組み合わせを楽しみたいわけですよ。
だから具は必要最小限でいいんです(^^)


あ、言っておきますが・・・

別に中華料理屋さんの焼きソバが嫌いなわけではありません。
あれはあれで一つの料理として大好きです、堅焼きソバも含めてね♪
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by shika_monologue | 2005-09-27 00:41 | 「食」の話 | Comments(8)

月に一度の

(二度かもしれないw)休刊日♪
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by shika_monologue | 2005-09-26 00:42 | 閑話休題 | Comments(1)

ライヴ!

1976年9月28日、同名映画のサウンドトラックとして発売されたツェッペリンとしては
初のライヴ・アルバムでした。

d0021258_844637.jpg

当時高校生だった私は映画館なんて滅多に行きませんでしたがw、これだけは何と
しても観なくてはっ!と一念発起して足を運びましたね(^^)
当時軽音楽部でツェッペリンのコピーバンドを作っていたんですが、メンバー全員を
引き連れて学校サボって行きました(爆)

今でこそ様々なライヴ・テイクがCDやDVDで出ていますが、この頃は「動くZEPP」
を初めて見るメンバーばかりだったのでスゴく興奮してたのを覚えてますw
帰りに気が大きくなった私は皆にコーヒー奢って、翌日からピーピーいってました。

映像的には73年のマディソン・スクエア・ガーデンでのステージからの編集で構成、
2枚組みなのに9曲しか入ってなくて、初期のツェッペリンのステージがいかに充実
したものであったか、というのを物語ってます。

あ、ちなみにココに登場する曲はすでにアルバム・レビューで書いてますんで感想
が短いですよw


ROCK AND ROLL
4枚目からの曲ですが、スタジオ・テイクとは違い前ノリ的なペイジのギターが
ライヴでの演奏でこなれた曲の進化みたいなものを感じさせます。

CELEBRATION DAY
これは映画では登場しなかった曲ですね。
スタジオ版ではダビングが多用されていたんで、ステージじゃどうするの?という
長年の疑問が解決された瞬間でしたw
(72年の来日時、やってたかどうかも覚えていない自分が情けなかったw)

BLACK DOG
こちらはLPではオミットされてましたが、やはり映像で観たい一曲です。
画がつくと迫力ありますね(^^)

SINCE I'VE BEEN LOVING YOU
これもLPではオミットされてました。
後に発売されるライヴ・テイクでは聞けますが、なぜこのときは外されたんでしょ
うね?謎です。

THE SONG REMAINS THE SAME
いわずもがなのダブルネックによるプレイがとにかくカッコイイです。
曲自体が複雑で指が攣りそうになるのに12弦でこれやると辛いっ!w
(コレ、前にも書いたなw)

THE RAIN SONG
映画ではプラントのイメージ映像が多くてねw
このアルバムではちゃんと曲に集中して聴けます(爆)

DAZED AND CONFUSED
いや、長いゾっ!(27分てw)
なんといっても実際に59バーストを弓でブッ叩く映像が見られるんで映画のほう
も見てねw
そのペイジ、イメージ映像では4枚目のジャケにも描かれている隠者に扮して
ます。

NO QUARTER
コチラのイメージ画像はジョンジーw
なんせバンドでは一番の男前ですんで、映像でも男前してます(爆)
コレも曲に集中したければコッチで(^^)

STAIRWAY TO HEAVEN
「This is a song of hope・・・」
もう感無量ですね、当時再びコレが映像で見られるとは思ってなかったんで、
感動もひとしおでした♪

MOBY DICK
ボンゾ、スゴいゾっ♪
他のメンバーがなんかファンタジーな映像なのに対してボンゾの映像は実物大
の感じがしましたね。
手でドラムセットを叩くボンゾ、必見です。

WHOLE LOTTA LOVE
テルミンがどういうものか判らない、という人はコレ見てください。
一見ペイジがただ踊っているように見えますがw、その先にあるアンテナみたい
のがソレです。


とにかく「映画」なんでメンバーのイメージ映像が多数出てきます。
でも一番似合ってるのは・・・

実はギャングに扮したピーター・グラントだ、ということは皆さん異論ないんじゃ
ないですかね(爆)

「ロック映画はあたらない」という業界の予想を裏切って多くのファンを動員した
この映画、ツェッペリンの人気というものを再確認させてくれました。

ペイジ曰く、

 演奏は最高とは言えない、たまたま映画を撮っていた時点としていいアルバム
 だったかもしれないけど・・・



【高価】
これはビデオが出たとき何に代えても手に入れないといけないと思い買いに行き
ました。
当時¥15000くらいしたんじゃないかな?とにかくビデオは高かった(T-T)

それが今じゃDVDで¥1500ですよ・・・1/10じゃんっ!w

(DVD買った今でもビデオは大事に保存してます^^)
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by shika_monologue | 2005-09-25 08:05 | 鉛の飛行船の話 | Comments(1)

牛丼は復活するか (ショートショート Part・・・いくつだ?w)

吉野屋の店頭から牛丼が姿を消して久しいですが、復活するんですかね?
例の問題以前には、その安さもあってよく食べにいってたんですが豚丼になってからは
一度も足を運んでいません。

豚丼も美味いんでしょうけど、やはり吉野屋といえば牛丼であり、牛丼といえば吉野屋
なんですよw
牛丼ということだけなら「なか卯」とか、他にもあるんですがこれも第一印象というか・・・

とにかく一日も早い復活を望みながら、今日も眠りにつきます(^^)
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by shika_monologue | 2005-09-24 00:12 | 「食」の話 | Comments(5)

銀幕

僕らは今、映画を作っているところ。
公開できるかどうか分からないけど、ロンドンのアルバート・ホールでやったライヴを
撮影したよ。
                             -ジミー・ペイジ 1970年2月-

というように、ごく初期の段階からペイジは自分達のライヴ・パフォーマンスを後世に
残すことを意識していた。
現在のようにロック映像が世にあふれかえるずっと以前のことである。
けっきょくこのプロジェクトが結実するまでに7年という歳月がかかったが、完成した
映画「永遠の詩」は待ちに待ったファンが十分に納得できる作品だった。


ツェッペリンの映画を完成させるにあたってメンバーとグラント以外にジョー・マソット
ピーター・クリフトンがキーマンとなった。

マソットが初めて彼らに遭遇したのは1972年のバス・フェスティバル。
15万人を集めたこのイベントには他にバーズサンタナジェファソン・エアプレイン
ドクター・ジョンカントリー・ジョー&ザ・フィッシュフランク・ザッパフロックなどが
名を連ねていた。
ツェッペリンの熱演には大きく心を動かされたマソットだったが、このバンドが彼の
生涯でもっとも重要なプロジェクトの中心的存在になることは予感していなかった。

グラントツェッペリンの出番を最大の照明効果が得られる日没に合わせるため、
彼らの前に出演していたフロックにアンコールがかからないように機材の電源を
抜いてステージから追い立ててしまった。
かくしてツェッペリンは太陽が沈むのとほぼ同時に「移民の歌」を演奏し始めたの
だが、マソットは「あれはほんとに驚異的な出来事だった、プラントの後ろには沈み
つつある太陽、ギグ全体が異次元の出来事みたいだった」と語っている。

この忘れがたいサンセット以前からマソットはロックと映像の融合にかなりの経験
を有していた。
彼が初めてロックを取り入れたのは西部劇、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ
フューチャーした「ウエスタン・ロック・ザカライア」であり、続いてジョージ・ハリスン
との共作で難解な実験映画「不思議の壁」を発表している。
その後、ペイジを訪ねるようになったマソットは、73年初夏には映画を製作する
可能性について話し合うようになった。
彼はここ数年、事務所に持ち込まれた映画の企画とは異なるヴィジョンを持ってい
たのである。

マソットのヴィジョンとは・・・

 4人のメンバーをそれぞれ一個人として描き出し、その4つのセクションをうまく
 映像に織り込みたいと考えていた。
 ペイジはこう言ったよ、「もう一本、ウッドストックみたいな映画を作ったところで
 なんのメリットもないだろう」って。
 「ウッドストック」も「バングラディシュ」もどちらも16mmのドキュメンタリー。
 「レット・イット・ビー」ですらこのカテゴリーに入ってしまう。
 「ヤー・ヤー・ヤー」や「HELP!」が撮られて以来ライフ・スタイルを意識的に描こ
 うとした映画は皆無だった。
 ペイジも同じ考えだったと思う、彼も普通とは違う何かを求めてたんだ。

好意的な感触を得て正式なゴー・ザインを心待ちにしていたマソットだったが数日
後、彼のもとにやってきたのは悪い知らせだった。
ペイジから「このツアーを映画にするのは難しそうだ」との連絡を受けたマソット
しばらく他の分野で才能を発揮していたが、そこに突然グラントから連絡が入る。

 来てくれ、映画をつくりたいんだ。

不意をつかれたマソットは大至急クルーを招集し米国に渡った。
演奏シーンは全てニューヨークで撮影され、映像の仕上がりを考えて16mmでは
なく35mmが使用された。

バンドは当初から時間をかけて配給業者を説得する代わりに自分達で製作費用
を出すことにした、レコードと同じく映画も自身のプロデュースのもとで作成される
べきものだったのである。
それにこれは危険な賭けではなかった、彼らの映像をフューチャーした作品が
赤字になる可能性はほとんど皆無だったからである。

マソットによると、

 ただのコンサート・フィルムにするつもりはなかった、メンバー一人一人をきちん
 と見せたかったんだ。
 といってインタヴューを入れるような昔ながらの見せ方はしたくない、言ってみ
 れば彼ら一人一人が主演の短編映画ってことだ。

【イメージ映像】
彼らの映像については実際に映画を観て、ご自身で感じて欲しい。
今となっては賛否両論があるが、私はけしてあの映像は嫌いではない。
ファンの中には「あんな中途半端なものをインサートするなら純粋に演奏場面
だけで構成したほうがよい」という意見もある。
だが、あれも含めて・・・・これはツェッペリンという人間を描き出した「映画」なの
だから。



必ずしも予測できないことではなかったが、その後マソットは全身全霊を注いだ
このプロジェクトから降板させられてしまう。
後任に招かれたのはオーストラリア人のピーター・クリフトンだった。

後年、ペイジ

 この件については何も話したくないんだ。
 振り返ってみるとあのままでもよかったのかも知れない、マソットも彼なりに
 いろいろ考えていたんだろう。
 単にこっちの忍耐が足りなかっただけかもしれない、少なくとも最初のうちは
 そうだったし、気に食わないことがあると僕らはあからさまにイヤな顔をした
 からね。

ライヴ映像の問題の一つにキーとなる曲で引きの映像がまったく抑えられて
いなかったというのがある。
そのためエディターはペイジプラントの映像ばかり使わなくてはいけなかった。
また撮影から3年という準備期間もバンドの苛立ちに一役買っていた。
バンドが早くも失敗作とみなし始めたこの映画をめぐり、マソットはしかし恨み言
をいうことはなかった。
彼自身がスタートさせ、心血注いだプロジェクトだけにこうした結末には不満だ
ったはずなのだが。


こうして紆余曲折の末、1976年10月20日、ニューヨークにおいて彼らのライヴ
映画「狂熱のライヴ -The Song Remains The Same-」が公開された。

                                    (つづくw)


【ライヴ映像】
である本作品は当時のロック小僧であった私にとっては忘れられないものに
なりました。
高校生だった私は新設校に進学したこともあって、そこには軽音楽部(今でも
そういうのかな?w)もなく自分達で作った経緯があってロックやバンドという
ものについて特別な思い入れがあったのかもしれません。

だから当時を知らない若い人たちがこの映画について「演奏シーンがヘンw
なイメージ映像でとぎれるのはどうか」とか「画像が悪い、音質が悪い」など
といろいろ言うのは正直耐えられない気持ちになります。
戦争にしてもなんにしても・・・そのとき、リアルに体験してこなかった人たちが
何を言っても、実際リアルタイムに接してきた側からすれば「何も知らんで、
勝手なこと言うなっ!」って気持ちになるもんなんですね。
考えてもみてください、30年も前の作品です・・・今の基準で判断するほうが
おかしいと思うんですけどねw

てなこと言ってること自体、私も歳をとってきたのかもしれませんがw
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by shika_monologue | 2005-09-23 00:32 | 鉛の飛行船の話 | Comments(1)

「好き」という漢字

「漢字」は、けして「感じ」の誤変換ではありませんw
「漢字」のお話なんですが・・・

「好き」・・・

「女の子」って書いて「好き」です(^^)
これって漢字の成り立ちが男社会から出てきたものだって証明してますよねw

その昔、日本では男性は漢字、女性は仮名文字による文章をしたためました。
特に女性が書き残した書物には色恋沙汰のお話がたくさんあります。

その頃、女性も漢字で書いていたら「好き」って漢字は「女の子」だったのでしょうか?
ひょっとしたら「男の子」と書いて「すき」だったのかもしれないな~と思っちゃって(^^)

いや、字面は綺麗なもんじゃないですけどね・・・・「男子」き(当たり前だけど漢字は
出てきませんw)
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漢字の誕生が現代だったら・・・そんなことを考えちゃったりする秋の夜長です(爆)

たとえば「結婚」の「婚」っていう字、「女」が「氏」(姓)を名のちゃってますが、今なら
もっと違った構成になっているのかも・・・なんてね。


「看護婦」→「看護師」と同じように男女の区別を表現しなくなった現在(ともすれば
女性のほうが強くなった現在w)、意味だけ考えれば明らかに時代にそぐわなくなっ
た漢字も多いんじゃないでしょうかね?

貴方なら・・・どんな漢字を挙げますか?(^^)
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by shika_monologue | 2005-09-22 00:08 | 閑話休題 | Comments(1)

原点

ツェッペリンのニュー・アルバムが、初めてスタジオでの冒険に飛び立った時点に回帰した
作品になることははっきりしていた。
一番明確な共通点が、ともに異常なまでの緊張感のなか短期間でレコーディングされた
ことだったが、リリース後のペイジは語っている。

 思うに「プレゼンス」はえらく過小評価されたアルバムだった。
 あれは純粋に熱意と気持ちだけで作られいる、というのは二度とあんなプレイができるか
 どうか僕らにも判らないってことだ。
 プラントに最悪の事態が起こっていたら中身もぜんぜん違ったものになったかもしれない。
 ストレートに気持ちを込めるという点では「プレゼンス」が一番だと思う。


スタジオはメンバーが宿泊していたホテルの地価にあり、彼らは時間に縛られることなく
レコーディングに打ち込んだ。
ツェッペリンは幸運にもストーンズが新作を録音すべくやってくる前の2週間ほどの空きを
抑えることが出来たのである。

ひとたびセッションが始まると寝食忘れてレコーディングし、一番の充実感を感じた作品
だという。
後年、ペイジはさらに、

 切羽詰っていたというか、みんな鬱憤が溜まっていたんだろう。
 バンドは休養充分だったし、リハーサルからむんむんするくらいの熱気だった。
 プラントの件も含めてこの先どうなるだろう、って感じだったから全員がそういう気持ちを
 うまく音楽に引っ張り込んだんだ。

まだ足首に体重をかけられなかったプラントは、しかたなく車椅子に座ったままヴォーカル
をレコーディングした。
ペイジは中でもアルバムの冒頭を飾る「アキレス最後の戦い」にえらく満足感を覚えた。

 「天国への階段」の時と同じくギターは全部僕一人でやった。
 あれ以来ギターをうまく重ねてハモらせるやり方をあれこれ考えてて、「PHYSICAL~」
 の「テン・イヤーズ・ゴーン」はその発展形だし、「アキレス~」も本質的にその流れを
 汲んでいる、というのもあの時は全然考えてるヒマがなくて最初のトラックが完了する
 とすぐに次のパートに入るって感じだったんだ。
 「プレゼンス」の仕事はめちゃくちゃ速かった、たまたま頭がうまく回ってくれたんだろう。
 僕はあのアルバムのギターにすごく満足している。
 たしかに不安定な時期だったし、全員の不安感がはっきり出てるけど「アキレス~」の
 ソロは「天国への階段」のソロにも匹敵すると思う。
 僕にとってはそれくらい高いレベルに位置してるんだ。

1990年にボックス・セットのリマスターを手がけた際にも、

 圧倒的なサウンドだよ、なのにこの曲を見過ごしている人がどれだけいることか。
 「プレゼンス」はバカ売れしたアルバムじゃないけど、僕が聞いた範囲ではけっこう
 評判だったみたい。
 けど、それまでのアルバムに比べると、売上はさほどじゃなかったんだ。


脅威のレコーディングとミキシングを完了したバンドは再び税金の心配のない友好的
なジャージー島に降り立った。
12月10日には地元のパブで350人の住人を前にお気に入りの古いナンバーを何曲
か披露したが、これが見逃せないライヴとなっている。
というのもプラントが椅子に座ったまま歌ったのである。
明けて1976年、キッダーミンスターの農家に戻ったプラントは事故以来初めて自力
で歩いた。

 一人の人間にとっては小さな一歩だが、マディソン・スクエア・ガーデンで6回公演
 をやるためには大きな一歩である。
                                  -ロバート・プラント


驚くべきことに「プレゼンス」は英国のレコード業界史上最も予約注文を稼いだもの
となり、ビートルズをはじめいかなるバンドも成し得なかったチャート初登場1位と
いう大記録を達成した。
ツェッペリンの基準からしてもこれは並々ならぬ偉業だったが、結局このアルバム
は前作、前々作のようなプラチナ・アルバムにはなれなかった。
しかし立ち上がりのよさは、いくらか迷いを見せ始めていたバンドを大きく元気付け
たのだった。

9月にはペイジボンゾの二人が短期間モントルーに向かい「全部がパーカッション
の曲」を完成させた。
ペイジは「この曲が次のアルバムに収録されるのは間違いない」と語っていたが、
現実には1982年に「CODA」の収録されるまで日の目を見なかった。
(賢明な方はなんという曲なのかわかると思いますがw)

スイスから戻ったペイジはそのキャリア中、もっとも厄介な問題、映像作家のケネス
・アンガー
とのいざこざに遭遇することになる。
(この問題書き出すとまた長くなっちゃうので端折ります、すいませんw)


個人的な苛立ちはよそに、メンバー達は特殊なプロジェクトの完了を目前にしていた。
1976年、ツェッペリンは一切のライヴを行わないがその代わりになる大作、世界一
ダイナミックなロック・バンドの活動を収めた長編映画が公開されることになる。
私生活でのごたごたも、この壮大なプロジェクトの妨げにはならなかった。

                                        (つづくw)



【この期間には】
プラントの事故もさることながら、ペイジの身辺にもいろいろごたごたがあったんですw
ドラッグの問題、ケネス・アンガーとの問題、それに女性問題(爆)
まあ、女性問題については落ち着くところに落ち着いたわけですが・・・・・
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by shika_monologue | 2005-09-21 00:06 | 鉛の飛行船の話 | Comments(2)