初体験③

「心霊写真」を自分の手で初めて撮ったのは高校のとき。
軽音楽部の合宿と称して(笑)隠岐に行ったときでした。

昼間はぶらぶらそのへんを探索して、夜にはちゃんと練習してましたけどねw
で、何日目かの午後、例によって散歩しながら「写るんです」で辺りを撮ってました。


そんなとき立ち寄ったのが、とある廃小学校。
昼間だったこともあり(夜だったらたぶんは入れなかった)、バンドの連中と一緒に
校内を探索したんですが、なんとなぁ~くイヤな雰囲気はあったんです。

まあ、廃校なんて多かれ少なかれそんな気分にさせられるもんですんであんまり
気にしてなかったんですけどね。

そうこうしてるうちに探索も終わり、学校を後にするとき一人がおどけてポーズを
とったんで記念にと一枚写しました・・・そこに写っていたものはっ!

     (ここでCM・・・もうえっちゅねんw)


数日後、帰宅して早速写真を現像し、おもろおかしかった合宿の日々を振り返っ
てたんですが、あの廃校で最後に撮った写真がなにやら奇妙だったんです。

三階建ての校舎だったんですが廃校を後にするとき、当然メンバー全員が外に
でてました(みんな一人で校舎内に残るほどの度胸はなかったようですw)。

しかし、ソコに写っていたものは・・・

2階の窓から何やら不気味なものがじっとコチラを見つめていたんです。
最初は誰かが私たちみたいに探検に来ていたのかとも思いましたが・・・

学校の教室の窓ってデカくて、上のほうはほぼ天井近くまでありますよね?
そう考えるとその人物は身長が2m以上ある計算になっちゃいます。

それに、これまた首しか見えてません(なぜか私が遭遇する心霊写真は首だけ
ってのが多いみたいです)。

別にその後誰かに霊症があったとか、そんなことはないんでたまたま写ったんだ
と思いますが、やはり気持ちのいいものではありませんでした。
この写真も今ではもうネガもありませんが、ある日突然見つかったら怖いですねw


それ以来、心霊写真というものは撮っていません・・・というか、ちょっとでもヘン
な空気を感じたときはシャッター押さないように気をつけてるんですけどね(^^;)
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# by shika_monologue | 2005-07-15 00:36 | 怪異の話 | Comments(6)

難関

最後の、そして一番大きな問題は4枚目のジャケット・デザインだった。

表面に一切、何のクレジットもないジャケット。
それは前代未聞であり、発売元であるレコード会社は猛反対をする。


ビートルズ以降、アーティストがデザインに口を出すことは通例化してきた感はあったが
それは常識の範囲内・・・あまりに突飛なデザインを提案された場合はレコード会社側は
拒否権を発動できる、という条項を振りかざしてきたのである。
もちろんレコードを製品として世に送り出すのはレーベルの仕事であり、レコード会社が
その方法について熟知しているという主張は当然かもしれない。
しかし、そこにはもっと別の・・・次元の違う問題があり、そうした立場の違いが大きな論争
を呼ぶことになった。

 (その問題となったジャケット・・・皆さんはすでによくご存知でしょうがここでは話の筋の
  ため、一応書いておくことにします)

」をマスコミにさんざんけなされた結果、彼らはすこし危うい立場にあった。
ツェッペリンの(というよりプラントの)セクシーさばかりを云々する記事も少なくなくバンド
のイメージが損なわれる危険性があった。

これらの言いがかりを払拭するためにも彼らは自分たちの音楽とリスナーとの接点に何
も介さないことに決めた。
」~「」についてジャケットの印刷に不満を抱いていた彼らの意向はピーター・グラント
を通じてアトランティックに伝えられたが、そういう事態をまったく予想していなかった連中
は慌てに慌てた。

 4枚目のアルバムではあえてグループ名を外し、外側から一切の情報を排除する。
 名前とか曲名とか、それらは何の意味ももたない、意味があるのは僕らの音楽だけ。
 音楽が良くなければ誰も僕らの名前に関心を持ったりしない、逆に音楽さえよければ
 名前なんて関係なくちゃんと聴衆の耳に届くはずだ。
 4枚目のジャケットにはどこにも「LED ZEPPELIN」の名前は出てこないし、お決まりの
 クレジットも全部省いてある。
 純粋に音楽だけで勝負がしたいんだ。

 バンドのイメージ作りにジャケットがどれだけ重要かということを認識してほしい。
 デザインがこちらの希望通りにならなければマスターテープは渡さない。


膠着状態は数日間続いた。
アトランティックはこうした前例を作ることを恐れたが、最終的にこの記念碑的なデザイン
を渋々ながら認めることとなり、幻想的なジャケットは見るものにショックを与えた。

ペイジがそのジャケットについての解説をしている。

 木を背負った老人は自然と調和した状態にある、自然から採ったものを土に返して
 いるからだ。
 自然のサイクルに沿っているわけで何の問題もない。
 しかし昔ながらの山小屋が撤去されて老人は都会のスラムに無理やり住まわされ
 てしまう。
 インナーの隠者は、真実と啓示の光をふもとにいる若者にかざしている。
 タロー(タロット)カードに詳しければ隠者の意味も判るはずだ。

 【解説】
 タローカードにおける隠者の一般的な意味は、「『一歩引いたり熟考することなく現行
 の道をそのまま進んでいくこと』に対する特別な警告」。


マスター・テープとアート・ワークを完成させた4人は戸惑うアトランティックを尻目に
ツアーに乗り出し、途中ハワイで一週間の休暇を挟んで「移民の歌」がナンバー1に
つけていた日本で初となるツアーを開始させた。
メンバーはこの10日間を大いに楽しむことになる。

日本へは例によってフィル・カーソンが同行していたが、彼はこの旅を満喫するととも
に、時には妥協を迫られたり、時には抜き差しならない立場に追い込まれたりした。
そのひとつが東京ヒルトンにおける乱痴気騒ぎ。

長期のホテル住まいで鬱憤の溜まっていた一行は気晴らしにいろんなイタズラを
仕掛けていたが、ある時プラントが間違ってカーソンの枕を窓の外に放り投げて
しまった。
やむなく窓から這い出したカーソンだが格好はバスタオル一枚だけ、警備員に通報
された彼は事情を説明するのに大汗をかいた。

こんな事件もある。
広島での公演を終えて大阪・京都方面に向かう車内、そのころイタズラの対象は
ペイジになっていたがジョンジーは間違えてグラントに仕掛けてしまった。
(その後の騒ぎは彼らの名誉のため省略させていただくが)同席していた日本の
宣伝マンは顔面蒼白でクビを覚悟していた・・・コレが原因でバンドが解散すると
思ったようだが、彼らにとってはそれは日常茶飯事だったのである。

翌日の新聞には一面で騒ぎの一部始終が報道されたが・・・


こうして嵐のような一行が日本を去った晩秋の1971年11月8日、一切何の情報も
なく中身が計り知れない一枚のアルバムが発売された。

                                     (つづくw)


【アルバム名】
といっても無いんだから仕方ないですが、それゆえに様々な呼び方をされるように
なった4枚目。
ルーン・アルバム」なんて呼ばれ方もしますね(^^)
それはインナーの曲名の上に書かれた四つのシンボルを表しています。

これらについてはそれぞれ本人が解説していたりするんですが、また機会があれば
紹介したいと思います・・・・・塩バターコーンラーメン♪(^0^)ノ
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# by shika_monologue | 2005-07-14 00:07 | 鉛の飛行船の話 | Comments(2)

商業ベース

「売れ線」という言葉があります。
よくミュージシャンが使いますが、ようするに大衆ウケを狙って作られた曲です。

先日、レビュワーが「売れなかった」作品に対して酷評するという記事を書きました
が、ミュージシャンにとっては「拘ってるのはどっちなんだ?」と、いうことをちょっと
考えてみました。


これはあくまでも私の意見ですんで、いろいろ反論もあるかと思います。


ミュージシャンにとって「売れる」というのは不可欠な要素であり、儲けなければ
その後の活動に支障をきたします。
ということは、流行のモノを取り入れて流行りの曲にしてしまえば手っ取り早いん
ですよね?

でも「売れない」ということは、逆に見れば流行に惑わされず自分の道を進んで
いるということじゃないでしょうか?
それこそミュージシャンの拘りであり、本来その人が目指している地点なのかも
しれません。

だから「売れない=捨てアルバム・捨て曲」というのは全く逆なんじゃないかな。
個性を出して目指すところの作品を作ることって、今のように「右に習え」的音楽
を作るよりはるかに高い次元を行っていると思います。

でもそういうのに限って「評判は悪くなる」諸刃の剣、作り手がいかに満足して
いようとも「売れていない」からという理由で切り捨てられる・・・たまったもんじゃ
ないですよね。

自分の道を目指してそれでも「売れる」には、並外れた実力とある程度の運が
必要なんでしょうけど、そういうところを見ていない評論家やレビュワーがいる
世の中では、やはり「売れ線」でいくのが無難なんでしょうね。
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# by shika_monologue | 2005-07-13 00:21 | 音楽・楽器の話 | Comments(3)

怪奇現象 プチ情報②

京都府宇治市 宇治川沿い


京都から奈良への帰り道、普段なら24号線を使うところなんですが、この日はルートの
都合で宇治川沿いを南に向かっていました。
短い区間なんですが周りに住宅などもなく、明かりも少ないところがありまして街中の
景色から一転、山道のように曲がりくねった道になります。

京都側から入ると右側に宇治川、左側はすぐそこまで迫った山肌・・・民家もちらほらと
見かける程度です。

もう陽はとっぷりと暮れていて、たよりは自分のヘッドライトのみ、季節柄すれ違う車も
少なく寂しい限りでした。

そんな夜道を5分も走ったころでしょうか・・・前方に対向車のヘッドライトが木間から見え
隠れします。

「あ、向こうから車が来るなんて珍しいな・・・」

と思いながら進んでいったのですが・・・

d0021258_0395118.gif


場所は川沿い、この道には脇に逸れるところがありません。
距離にしたら1kmも先に見えていた対向車のライトが、それ以降いくら走ってもすれ
違わないんですよ。

道路わきの民家に入ったのかな?とも思いましたが、時間にしてたかが十数秒・・・
そんなに慌てて家に入るともいうのもおかしいし、そんな痕跡もないんです。

それから次の市街地に入るまでなんとも不思議な出来事に一人首をひねりながら
数十分、町の明かりが見えてホッとしたのはいうまでもありません。


そんなことがありました・・・あれは何だったんでしょうねぇ・・・ (稲川淳二風w)
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# by shika_monologue | 2005-07-12 00:47 | 怪異の話 | Comments(4)

#162

アーマーと呼ばれるもので、通常のZippoに比べてケースの厚みが1.5倍。
実際持ってみるとけっこうズッシリと来て、存在感バリバリです。

といっても見た目ではほとんど見分けがつきません。
しかしボトムにはアーマーをあらわす「A」がデザインされており、ソレと判ります。

(おーっ、どんどん短くなるゾッ、この記事w)
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# by shika_monologue | 2005-07-11 01:09 | Zippoの話 | Comments(2)

時代

1971年の真冬、元ビートルズとしては初の1位を獲得したのはジョージ・ハリスン
マイ・スウィート・ロード」だった。
その後もドーンの「ノックは3回」、オズモンズの「ワン・バッド・アップル」などなど、
次々と首位は入れ替わり、シングル・ヒットを狙うという手法は混迷していく。

変革の機は熟していた。
アルバムでのトータル・プロデュースによる作品主体の時代に入ろうとしていたので
ある。

クリスマス直前から開始されたレコーディングは最小限のスタッフ以外はメンバー
のみという状況で、バンドはますます一体感を強めていった。


そんな中、欧州でのツアーを開始させた4人はかつてない障害に突き当たる。
ミラノでの出来事・・・

観客と警官との衝突で催涙弾まで飛び出す騒動の中、早々とステージを終わらせ
て楽屋に引き上げるメンバー。
しかし楽器を守ろうとするローディたちは騒ぎに巻き込まれ、流血して病院に送られ
るものもいた。
さらにやっとの思いでホテルにたどり着いた彼らに現場に居合わせた記者がやって
きてインタヴューしようとする始末、結局例によってボンゾが「説得」して記者は退散
することになる。
この騒ぎに比べるとその後のツアーは穏やかなもので、その年の秋には初めて
日本の土を踏んでいる。


こうした日々でバンドの意気はあがる一方で、3枚連続のプラチナ・ディスク獲得、
冬の間、評論家連中や悪意に満ちた解散説に悩まされていたが、この頃には余り
気にならなくなっていた。
とはいえ、こうしたアルバム主体のバンドの先駆者としてのプレッシャーは、日々
高まっていく。

その後続々登場する「第二世代」バンドもめきめきと頭角を表してくる。
ブラック・サバスエマーソン・レイク&パーマージェスロ・タルユーライア・ヒープ
米国ではグランド・ファンク・レイルロードMC5レア・アースなどツェッペリン
手法を取り入れたバンドや、マウンテンジェイムズ・ギャングステッペンウルフ
なども急速に聴衆を増やしていった。

これらのプレッシャーをものともせず、バンドは新鮮な気持ちで4枚目のアルバム
制作に挑み、何曲かの新曲を完成させたのに加えて、着手してからすでに数ヶ月
になる「謎の曲」の仕上げに取り組んでいた。

 ニュー・アルバムで(様々なプレッシャーと)雌雄を決するだけじゃなく、自分達も
 納得させなきゃならないって感じだった。
                                 -ジミー・ペイジ

本格的にレコーディングに入ったときには想像もしなかった苦労が4枚目の制作
にはつきまとうことになるのだが、こうした決意がその苦難を切り抜ける原動力に
もなっていたのである。

まずレコーディングの場所決めの時点で最初の変更が生じた。
それまで彼らはほとんどありきたりのスタジオでレコーディングしていたが創造性
を十分に発揮するには、けして最適とは言えなかった。
そこでハンプシャーにあるヘッドリィ・グランジというプライベートな場所に機材を
持ち込むこととなり、これはスタジオを離れたことによる有効性を思い知らしめる。
この件についてはペイジが語っている。

 思いついたアイデアをその場でテープに収められるなんて理想的だと思った。
 ただ一つ問題だったのは急ぎすぎたってこと、アイデアの段階で興奮しちゃって
 大急ぎで曲の形に仕上げて録音してしまったからね。
 僕の場合、スタジオ・ノイローゼというか、以前のセッション・プレイヤー時代と
 なんら変わらなくなってしまう・・・これが自宅にスタジオを作った理由のひとつ
 なんだ、赤ランプのプレッシャーなしで、自分の好きな時間にレコーディング
 できるんだから。


この時点で彼らは初期の数々のセッションから、少なくとも1ダースほどの完成
段階にある曲をテープに収めていたが、そこにヘッドリィ・グランジでの成果が
加えられて最終的に候補曲が14曲程度に絞り込まれた。

けっきょく4枚目のアルバム用に8曲を選び抜いたが、それを2トラックステレオ
にミックス・ダウンする時点で更なる問題が起こる。
エンジニアの勧めでLAのサンセット・スタジオで作業を行ったが、それが全く
出来が悪く、新しいエンジニアを探して再度ミキシングする必要があった。
実際には機材に問題があって、英国に戻って聞いてみるとこれまた使い物に
ならなかったのである。

                                 (マジで、つづくw)


【今回は】
このエピソード、ホントに次回に続いてたりするw
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# by shika_monologue | 2005-07-10 00:07 | 鉛の飛行船の話 | Comments(3)

リカイフノウ

相変わらず続いてますね、韓流ブーム。
日曜日の真昼間に韓国ドラマ、CMでも韓国語。

 ここって日本ですよね?・・・(^^;)

そんな疑問が頭をよぎることがありますw


韓国ドラマって・・・・・そんなにいいか?
なんか一昔前に流行った「大映ドラマ」をみているような大げさな演技。
なまじ顔のつくりが似ているだけに感じられる、吹き替えの不自然さw
けっして男前だと感じないその風貌(爆)・・・そりゃ私よりは格段にいいですけど(^^;)


旅行もそうなんですが、私は国内にまだ行ってない個所がたくさんあります。
いや、ほとんど行ってないですねw
世の中不況だといいながら大型連休のときには海外へどっと押しかける日本人。
それよりもっと美しいものが日本にいっぱいあると思うんだけどなぁ・・・・


とりあえず今の目標は北海道! いつか行くぞっ!!(^0^)ノ
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# by shika_monologue | 2005-07-09 01:03 | 閑話休題 | Comments(1)

怪奇現象 プチ情報①

十津川物語


奈良県十津川村方面 3番目のトンネル

これは怪異というには軽すぎる話かもしれませんが・・・

大阪側から十津川方面へずっと行って、吊り橋を超えたあたりに連続するトンネルがあります。
横にはダム湖が広がり、景色のいい整備された道路でドライブには最適な感じですね。
d0021258_037555.gif


そこの大阪側から3番目のトンネル・・・短いトンネルなんですが、ここを通るとき私は必ず異変に
見舞われるんです。

なんてことはない場所なんですがトンネルに入った途端、背筋がスーッと冷えます。
首筋や腕など、暑くて汗だくなのに背中だけ・・・それこそ背骨に沿って氷を滑らせたように冷たさ
があがってくるんです。
そしてトンネルを抜けると、今度は逆にサーッと冷たさが無くなります・・・これが毎回、そのトンネル
で起こるんですね。

土地柄、いろんな災害には見舞われてるでしょうし、ダムがあるということは沈んでる村もあるかと
思います。
それが原因かどうかは判りません・・・別にその後体調がおかしくなるとかそんなこともありません。
でも、毎回必ず・・・ということは何かがあるんでしょうね。

ただ、その原因を無理に知ろうとも思いませんし、何かあるにしてもわざわざ怒らせるようなことは
したくないですしね。
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# by shika_monologue | 2005-07-08 00:46 | 怪異の話 | Comments(2)

変化

サード・アルバムが完成する頃、5度目の北米ツアーで彼らのライヴは大きく変化
していた。

まず出演料が飛躍的にアップし、それと同時に彼らはいっさいオープニング・アクト
を使わないことにした、これにより彼らが会場の消灯時間を気にすることなく2時間
を超えるコンサートを毎晩繰り広げることができるようになった。
9月19日、MSGで行われたライヴで初めて一晩の公演で10万ドル超の興行収入
をあげたのである。

帰国後、ペイジは北米での人気をこう描写している。

 むこうではプラントが次代のミック・ジャガーのように言ってるけど僕らからビッグ
 でセクシーなイメージを打ち出そうとしたことはない・・・セクシーさ云々をイメージ
 の軸にすることはバカげている、今の時代、一番のポイントになるのは音楽さ。

この言葉が物語るように、ペイジは「」での新しい音楽に大きな自信を持ってい
たのだろう。
同時にこのアルバムは歴史的な成功を収めた前作に続くものとして注目を集めて
いた。
しかし一方で彼らのハードロックを愛する何十万というファンに、足元をすくわれた
ようなショックを与えるであろうことをバンドは本能的に察知していたが、それは
どうあっても避けがたい事態だった。

」を聴いた瞬間、バンドのスタイルとしてのバリエーションがはっきり感じ取れ
ると思う。
ヘヴィなリフ中心の曲とは違うアコースティック色濃いサウンドだが、全曲に共通
する驚くべきパワーは変わっていない。
ここでもっとも影響したのは、プラントの音楽性と、それまで抑えられていたペイジ
のトラディッショナル・フォークに対する憧れである。
もとよりプラントツェッペリンに加入したときからモビー・グレイブバッファロー
スプリングフィールド
といった個人的好みと、バンドのハードなアプローチを融合
することは不可能ではないと主張していた。

 前々から僕はツェッペリンらしさをなくさない範囲でああいう分野に足を踏み入れ
 たいと思っていた、前の2作で僕に欲求不満が残っていたという風に見る人もい
 るかも知れないが、とりあえずこのアルバムは僕の望んでいた方向に進んでる
 とだけは言える。


多分にもれず酷評された「」だが、メンバーから見た唯一の問題はジャケットの
デザインだった。
その中に収められた音楽同様に革新的なデザインを目指していたが出来てきた
デザインは目立つものではあったがメンバー全員の期待を遥かに下回っていた。
ペイジはこう語る・・・

 園芸用のカレンダーとか動物のサイクル表みたいなものになるはずだったんだ
 腕のいいデザイナーだったけど意図がうまく伝わらなかった、締め切りもあった
 から妥協してしまったけど。

はたして意図がうまく伝わったジャケットというのはどういうものだったんだろう?
今からでも遅くないので見てみたいものではある。

こうして発売された「」は24日付けのチャートに3位で初登場(このとき同時に
リリースされたオールマン・ブラザーズのセカンド・アルバムが初のチャートイン
を達成している)、2週目には首位に輝き以後一ヶ月に渡ってその座をキープす
ることになる。

これまた例によって米国のAM局とアトランティックからシングル・カットが熱望さ
れ、バンドは乗り気でなかったものの「移民の歌」が発売されたが、本国では
リリースされなかった。
フィル・カーソン(アトランティックの欧州担当:前出)はピーター・グラントに対して
打診するそぶりすら見せていなかった。

結局「」は31週という短期間(前2作に比べれば)でチャートから姿を消すこと
になったが、これは評論家による批判も一因になっていたのかも知れない。

皮肉なことにデビュー当時そのパワフルさを馬鹿にしていた連中が今度はそう
したスタイルから抜け出そうとしていた彼らを物笑いの種にしたのである。
これ以降バンドはなおのことシングルを嫌うようになった、一貫した姿勢から
切り取っただけのシングルを自分たちの代名詞にされてしまうからだった。

一方、バンドの成功が確固たるものになるにつれ、「解散するかも・・・」という
無責任な噂が流れ始めた。
しかし彼らのアコースティックな成長を拒否しつづけるマスコミをよそに、「
のリリースに先立ってより深い何かが生み出されようとしていた。

ペイジプラントはブロン・イ・アーでの多くの発想の中から生まれた秘密の
新曲に心を奪われていた・・・

 ひとつアイデアがあって・・・すごく長い曲のアイデアなんだけど「幻惑されて
 みたいに途中でがらっと雰囲気が変わる・・・アレの新しい形というか。
 失敗するといけないからこれ以上は言えないけど・・・でも間違いなく成功する
 と思うよ。


とにかく「」の商業的失望で彼らが落ち込んでいると思うのは早計だった。
それどころか彼らはその後のロック史に燦然と輝くであろう決意表明ともいう
べき曲の初期ヴァージョンに着手していた。

彼らは「天国への階段」の最初の一段を登ろうとしていたのである。


                                     (つづくw)



【たしかにね】
一年以上に渡ってチャートインした一枚目、二枚目に比べたら31週っていうのは
短いですが、それでもそうとうなもんですよねw

なぜ私が ZEPPELIN にこんなに惹かれるのか・・・私ももともとフォークから音楽
に入ったんで、ペイジプラントの根底に流れるものに共鳴してしまったのかも
しれません(^^)
このアルバムにしても「IMMIGRANT SONG」などハードでヘヴィな曲も好きですが、
FRIENDS」「GALLOWS POLE」みたいなトラディッショナルな曲も大好きなんです♪




あ、今日は七夕だ・・・晴れてるといいなっ!(^^)
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# by shika_monologue | 2005-07-07 00:08 | 鉛の飛行船の話 | Comments(1)

#1941

「Zippoの話」ではたびたび登場しております、1941年モデルのレプリカ。
俗に大戦モデルと呼ばれるのはブラック・クラックル塗装されているものが多い
ですが、それも今まで散々言ってきましたね(^^;)

角が丸く、側面が平らなシェイプは通常のモデルに比べて少し小さめに見えま
すが、実際にはほとんど大きさは変わりません。
でもなぜか自然に手に馴染みます、私的にはお気に入りの一品なんですが、
特にスターリング・シルバーのものは独特の手触りとともになんともナイスです♪
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# by shika_monologue | 2005-07-06 02:40 | Zippoの話 | Comments(3)